昭和42年4月から昭和44年3月まで、名古屋大学の修士課程にいた。名古屋大学理学部附属水質科学研究施設、通称、水研と呼ばれていた。水質科学と言う名前からなにか飲み水を調べるような印象があるかもしれないが、そうではなくて、…続きを読む
追悼 堀井晴雄さん
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昭和42年4月から昭和44年3月まで、名古屋大学の修士課程にいた。名古屋大学理学部附属水質科学研究施設、通称、水研と呼ばれていた。水質科学と言う名前からなにか飲み水を調べるような印象があるかもしれないが、そうではなくて、…続きを読む
最近読んだ本を4冊、古いのやら新しいのやらまぜこぜで。いずれも心に深く残った。代替えのない読書体験、現実の世界よりも現地味が深かった読書体験。(写真にあるのは買った本、写っていないのは借りた本…続きを読む
雪はまだしっかり残っていてしかも堅く締まっている時期、春山の最高のときにいつもどうしても行きたくなるところがある。それは、取立山とその先に緩やかに続く加越国境の尾根である。元気な頃は大長山まで行って帰ってきた。左手に白山…続きを読む
先週の日曜日、3月17日は山岳会の3月例会山行で越前甲(1320m)を目指したが悪天候で敗退した。そのとき一緒だったT内さんから「雪辱戦でもう一度行きましょう」と会のメールに呼びかけがあったので早々に行くと返信した。 3…続きを読む
福井県と滋賀県の県境上にある上谷山(1197m)に最初に行ったのは昭和53年2月11日であった。福井山岳会が県境縦走という壮大な事業をしている真っ最中、しかし、正確に言うと、このときは県境尾根の手前で足がつ…続きを読む