白山一泊二日疲労困憊の記


最初の写真0これまで年齢で区切って何かをするとか、何歳だからどうだとか、そんなふうに考えたことは一度もなかった。誕生日はいつも家族のみんなに祝ってもらっていたが、それも「ああいくつになった!」という感慨からはほど遠かった。今年で何歳、という区切りがピンとこないのである。気分としては60くらいなのだから、年齢の感覚が全くないわけではないけれど。

今回どういうわけか、「80になったのだから記念に白山に登ろう」と思ったのだから、不思議といえば不思議である。「80」はこの世よりあの世に近いという感じはあるので、そのことも少しはあったのか。

大病を患いそこからなんとか脱出できたが体重は5キロ減のままだし、体力は確実に落ちている。筋肉も減っているのがわかる。これまで白山は日帰りの山だった。室堂まで行って山頂まで行かなかったことはあったが、ともかく日帰りの山だった。しかし、今回、日帰りで行けるとは思えなかった。いつも一緒に行く山岳会の仲間に泊まりの白山でもいいかと、少々、恐る恐る、訊ねると、みんな「いいよ」だった。

室堂に泊まるのは久しぶりだ。もう十年以上昔、息子夫婦が仕事でアメリカに行くことになり、それならと一泊の白山登山をした。エベレストBCトレッキングは2017年の7年前で、このときは二週間毎日山小屋に泊まり、本当に快適な毎日だった。小屋泊まりの思い出に悪いのはない。少々お金はかかるが行く前から楽しみな山行だった。

思っていた以上に厳しく、山頂にはたどり着けたがそれだけで精一杯の山行だった。以下はその疲労困憊の記である。

2024年8月5日

朝4時にセットしたアラームに起こされる前に目が覚めた。いつもやっている血糖値の測定とインスリン注射、しかし、今日はかなり激しい運動になるのでインスリンの量を減らして打った。今日のコースは途中で水が補給できるのでその間足りる程度に水を入れる。昼食は2回分必要で、その他日帰りでは持たなくてもいいヘッドランプや着替えや予備の食糧や、いろいろ、いつもより重い荷物になった。家を出る前に担いでみる。これならなんとかなるだろう、くらいの重さだった。

家を出たのが4時45分、小浜から高速に乗る。美浜で降りて再び敦賀から高速。美浜-敦賀間の高速が異常に長く下道を走っているのとほとんど変わらないので、また美浜でいったん降りるほうが高速料金が安くなるので、いつもそうしている。鯖江で降りて集合場所の福井市内某所に向かう。6時半集合だったが少し早く着いた。福井山岳会のいつも一緒に行くKさんとMさんがすでに来ていた。しばらくしてHさんも来る。今日は男性二名、女性二名のメンバーである。福井からの4名に加えて旧知の友人Sさんが岐阜の平瀬道から彼の友人Sさんと上がってくるので室堂泊まりは6人である。

福井北ICから無料開放中の中部循環自動車道で勝山まで、国道157号、谷峠、白峰と通って市ノ瀬には8時前に着いた。登山口の別当まで通常は車を上げることができるが夏の時期だけ交通規制がかかり、金曜日の午後から月曜日の午前中は、自家用車は市ノ瀬から先は入れない。ここからシャトルバスで別当に行くことになる。駐車場は平日だというのにいっぱいの車である。案内係のおじさんの指示に従って車を止める。

「500円から800円になった、高いね」とは、バス乗り場に向かって歩いているときのおじさんの弁である。市ノ瀬・別当はバスで10分そこそこなので確かに高い。

バスを降りて別当で水を補給する。山菜飯のジフィーズに水を入れて昼食の準備をする。これで1時間後には食べられるご飯になる。出発は8時40分、この先ちゃんと歩けるのか。

 

吊り橋別当谷に架かる高い吊り橋を渡る。下を見ると怖くて渡れない。橋の両脇には腰の高さまでのワイヤーが何重にも張ってあるので、自ら身を乗り出さない限り落ちることは物理的にあり得ないのは分かっているが、それでも怖い。下を見ず、あまり先を見ず、数メートル先だけの板を見て渡る。

 

しばらく行くと標高差60メートルほどの、石を順に積んだ急な階段状の登りが出てくる。この道は今は登り専用になっているが、初めて出来た頃、その当時山岳会の会長だったMさんと来たことがあり、登りも下りものこの階段だったのでずいぶん緊張して降りたのを思い出す。滑落でもしたら大けがである。

 

別当から最初の休憩地は、普通は、中飯場なのだが、そこまで保たず途中で小休憩をしてやっと中飯場に着く。ここまで1時間ちょっと、コースタイムとそれほど遅れていなかった。水を飲んで水を補給する。

 

少し雨が落ちてきた。足元の石に水玉の黒い湿りが見える。雨はすぐに止んだ。軽くガスが懸かった山が美しい。徐々に疲れが出てくる。次の休憩地、別当覗まで行かないうちにへたって小休憩。小休憩が増えてくる。別当覗では先に行った二人が待っていてくれた。十人近くが休んでいた。くたびれてはいるが休んで食べると元気になる。

 

あと少しで甚之助避難小屋、のところまで来て足がつりそうになり、~「足がつるのは通常は下りが多いのだけれど、登りでつるなんて」、などと一緒の仲間に言われて~、こんな時の特効薬、漢方の「芍薬甘草湯」を飲む。「芍薬甘草湯」は即効性のある漢方でいつもウエストポーチに入れてあり、今度もすぐに効いてきた。痙攣はなんとか収まり、足をだまし、だましなんとか小屋までたどり着くことができた。11:50。小屋まで3時間かかった。標準のコースタイムは2時間半になっている。

着いてすぐに血糖値を測定する。264だった。これは高い。山ではエネルギーの消費が大きいので低血糖が怖く朝インスリンは控えめに打ってきた。食べる方は糖質のことは気にせずに好きなだけ食べてここまで着た。あれほど疲れたのに糖の消費はそれほどでなかったことになる。血糖値のコントロールは本当に難しい。

甚之助小屋ここで昼食になる。数十人がいる。山に来て楽しみの一つは食べることである。別当で準備したジフィーズに赤貝の缶詰、それに畑でとれたキュウリとトマト、塩でもんである。量のことを考えずに食べることの本当に幸せなこと。バックには別山が見える。30分ほどの昼食時間だった。

歩き始めてすぐ、休憩時の快さとはほど遠い身体全体の疲労感に襲われる。やっと身体を動かして身体を持ち上げている感じで、とても辛い。しかしありがたいことに、徐々に不快な感じは消えていき、ただの疲れになり、これならゆっくり行けば歩けると思えるようになった。30分ほど歩いて南龍ヶ馬場への分岐点に着く。ここから南龍ヶ馬場へはトラバースだけなので登りがない。Hさんが「初め、南龍泊まりと言ってなかった? 次の日、室堂に行くとか?」。そう言ったのかどうか覚えていなかったが、そうだったら今日の歩きはもうほとんど終わったことになり、そのほうが良かったと思ったがもう遅い。

 

ギリギリの状態から少しずつ良くなっているので、次の休憩ポイントである黒ボコ岩まで頑張るしかない。南龍ヶ馬場への分岐点から黒ボコ岩までの道は、何度かトラバース道を行って最後は急な登りを二度登り完登となる。このあたりまで来るとお花畑の楽園になる。黄色、ピンク、白、紫、それらの混合具合がなんともいえない。4人とも盛んに写真を撮る。入道雲が青い空に勢いよく盛り上がっていき、花を見て雲を見ていると、これまでの疲れが、少しだが引いていくのを感じる。あと少しだ。

 

延命水黒ボコ岩下の「霊峰白山延命水」、枯れずに細い水が出ている。小さな竹のコップに時間をかけて水をためていただく。延命水なのだから延命保証がついたと自ら鼓舞する。黒ボコ岩まで急な石段道をゆっくりゆっくり歩いて13時40分に到着した。本当に嬉しい。別当を出てから5時間である。元気な頃はこの先の室堂まで4時間半だったのに。黒ボコ岩まで来られて良かった。

 

五葉坂黒ボコ岩から先は弥陀ヶ原の木道を歩き、最後の五葉坂を登れば今夜泊まる室堂に着く。もう大丈夫だと思った。なんど来たのか。弥陀ヶ原ののびのびとした空間の先に霊峰白山の山頂が見える。五葉坂も足がつることなく登ることが出来た。「白山室堂ビジターセンター」の看板が上がっているセンターの裏側に着いた。14時15分だった。5時間40分の行動で到着、途中行けるだろうかと心配したほどの疲労だったのにコースタイムより1時間オーバーで来たのだからよしとしなければ。

 

登る前は、一泊の山だから到着の日は山頂に行ってそのあとお池巡りでもしましょうと、メールに書いたのに、そんな元気はない。這々の体でたどり着いた。たった一つだけ言えるのは、体力の限界まで来ているかどうかいつも自分でチェックしていて、まだ残余のエネルギーはあると確認しながら歩いていたことぐらいだろう。60年以上山をやっているのだという自負はあった。

 

午後3時から石川県自然解説員研究会の解説員(女性)による室堂周辺のお花の説明ツアーがありそれに4人全員参加した。参加する前にコースにアップダウンはないかと訊ね、ないと確認しての参加だった。詳細な専門的な説明があったが、加齢性難聴の身にはあまり有益なことはなかった。よく聞こえなかったのである。4時過ぎに岐阜県側の平瀬道から友人のSさんがSさんと一緒に上がってこられた。彼らもかなり疲れた様子だった。6時間かかったと言っていた。みんなそろったのでチェックインをする。

 

室堂には三つのタイプの宿泊小屋があり、一つは完全個室の「白山雷鳥荘」。6部屋定員21名で、コインシャワーも付いていて少々お高い。しかし、一ヶ月前には予約はすべて埋まっていた。自炊棟の「白山荘」は素泊まりで8,200円。あとは「御前荘」、「こざくら荘」、「くろゆり荘」の三つで、一泊二食で11,300円である。五つの小屋で750名が泊まれると案内にある。われわれの小屋は「くろゆり荘」であった。

Kさん曰く、「この建物はもう何十年前と同じで、全員雑魚寝だったのが仕切りを入れて二人ずつ入れるようにしただけ、建物はそのままで古いわ」。二段ベッドになっていて私とMさんが下、女性のKさんとHさんが上の部屋(仕切りとカーテンだけだが)に入った。

 

夕食は5時40分からで20分で済ませてほしいと受付のときに言われた。食堂の入り口に並んでその意味が分かった。100人近くは入れそうな食堂は満席である。これなら次から次へと食べていかないとあとが詰まってくる。平日なのにこの人数だから早くに予約が埋まる休日前後の日はすごいことだろうと思った。

 

同室のMさんは日本野鳥の会の会員で野鳥にとても詳しい。いくつくらい知っているのか訊ねたことがあったが、100羽くらいかな、と言っていた。加えて星にも詳しい。私は夕食後疲れて果てて寝ることしか出来そうになかったが、Mさんは、翌日聞いたところ、夜中の2時頃に起き出して2時間近く星を撮っていたという。その写真を見せてもらったが銀河や夏の星座が見事に写っていた。三脚は重たくて持ってこなかったので、すべて手持ちで撮ったものだという。露光時間5秒を手持ちでぶれずに星を撮るのだからたいしたものである。

 

2024年8月6日

朝食は6時から、みんな元気そうである。ご飯、味噌汁、それに大きな皿に5品ほどのおかず、夕飯よりは全体的に少なめだが、ご飯、汁物、大きめの皿の組み合わせは夕飯と同じであった。

7時から歩き始める。まずは山頂に。コースタイムは約40分。まだ沈殿したような疲れがあり、思うように足が進まない。中間地点の高天ヶ原まで30分かかった。そのとき、今日は頂上往復だけだと心に決める。それ以上行くと下りでみんなに迷惑をかける。山頂到着8時、一時間かかった。

 

山頂にて山頂にある白山比咩神社の奥宮にお礼のお参りをする。帽子を脱いで深々と頭を垂れる。「ありがとうございました、無事到着しました」。この先もう一度来られるかどうか自信がないので、山頂では三角点を抱えて記念撮影をした。

みんなにここから降りると伝える。Kさんも降りるという。私より一つ歳上のSさんとその友人Sさんも下山に力を残しておきたいからと、山頂から降りることになった。お池巡りはHさん、お池巡り+大汝峰はMさんと、三つに分かれて山頂をあとにした。

 

室堂でHさんやM さんを待つ。Hさんがまず降りてきた、「お池巡りよかったよ」と元気である。Mさんを待つが9時半を回っても帰ってこいないので、女性陣のKさんとHさんは「下りは遅いから先におります、早川さんは下り早いし」と、エコ-ライン経由で下山を始めた。やがてMさんも降りてきた。大汝峰はこれが最後かも知れないと思ったので行ってきた、ということだった。私も含めシニア-のメンバーはそんな発想になる、あとどれくらいで、どこまで可能だろうかと。

 

先に降りたKさんとHさんとは甚之助の小屋で合流した。下山は登りほど辛くなかったが、疲労がどんどん蓄積してきて、終点の別当出合のバス停まで1kmを残す中飯場まで、本当になんとかたどり着けた状態だった。中飯場から別当谷に架かる高い吊り橋まで、一歩ずつ足を出せば着く、それしかない、と言い聞かせながら歩いた。重たい身体を持ち上げながら、なんとか下りのバスの時間にも間に合って別当出合に着いた。ただし、かかった時間は3時間半強で、元気な頃と比べてプラス1時間以上であった。

 

行く前は楽しみが多かったのに、結果的には身体に体力の貯めがなくなっていることを確認する山行になってしまった。しかし、辛かったばかりでない。美しいお花畑も見たし、山頂からは雄大な白山山系の眺めを楽しむことも出来た。行動中の仲間との会話も山ならではであった。鍛えてまた行こうと思っている。山に行く気が失せたわけでは全くない。



Author

早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>