村上春樹『職業としての小説家』


  ときどきだが、本当に良い本に巡り会ったと感じることがある。これもそのような一冊である。それは、35年以上にわたり職業的小説家としてやってきた村上春樹の矜恃に満ちた“Mの人生”とも言える書物であった。

「あとがき」から少し拾うと、“小説を書くことに関する、僕の見解の(今のところの)集大成みたいなもの”、あるいは“本書は結果的には「自伝的エッセイ」という扱いを受けることになりそうだが”など。Mがこれまで日本社会から受けた言われなき非難などにも、ところどころ言及されていて、それらをどのようにして処理してきたのか、それらについてもとても興味深い陳述があった。Mが寄って立っていたのは、小説を書くことの誇りや自負、そして創作方法・創作技術に関する自信などであった。

 いままで聞いていて知っていたこともあったし、初めて聞くこともあった。前者;「そうだ、僕にも小説がかけるかもしれない」と突然感じたのは、神宮球場でヤクルトの試合を見ていたときのこと。

バットがボールに当たる小気味の良い音が、神宮球場に響き渡りました。ばらばらというまばらな拍手がまわりから起こりました。僕はそのときに、何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。「そうだ、僕にも小説がかけるかもしれない」と”

後者はたくさんあった。最初の小説『風の歌を聴け』が「群像」の新人賞を取るだろうと確信したのは、傷ついた伝書鳩を見つけて交番に届けに持っていく途中。

そのあいだ傷ついた鳩は、僕の手の中で温かく、小さく震えていました。よく晴れた、とても気持ちの良い日曜日で、あたりの木々や、建物や、店のショーウィンドウが春の日差しに明るく、美しく輝いていました。/そのとき僕ははっと思ったのです。僕は間違いなく「群像」新人賞をとるだろうと。そしてそのまま小説家になって、ある程度の成功を収めるだろうと。すごく厚かましいみたいですが、僕はなぜかそう確信しました。とてもありありと。それは論理的というよりは、ほとんど直観にちかいものでした。

 知らなかったことをもうひとつ。『風の歌を聴け』の文体は、英語で1章ほど書いてそれを翻訳(というより移植と言ったほうに近いと書いてある)して確立していったということ。英語で考えて英語で書き始めたことが、いまのMの文体を作ったと聞いて、ほんの少しだが、かつて現役だったころ、英語で専門の論文を書いているとき、どこか別のところに行くというような感覚があったことを思い出した。まったくレベルの違うはなしだが。

 もうひとつだけ。長編小説を書いていると登場人物は作家の手を離れ勝手に動くと、著名な作家が書いているのを見るが、ここでも同じことが書いてあった。「作る」のではとても長編は「書けない」と。

 第11章 海外へ行く。新しいフロンティア。

ここでは世界中で広く読まれていること、読まれ始めるきっかけがそこのそれぞれの世界がおおきく変化しているときとシンクロしていること、などから、物語が持つ力が静かに間違いないものとして語られている。

最後に;

村上春樹が自分の両親のことや自分の子ども時分のことに言及するのは珍しいように思う。それらを読んでもなぜか実感が湧かない。甘やかされたとか、勉強しろといわれなかったとか、なんだか現実がないのはなぜなのだろう。書いた小説の最初の読者は奥さんであると、これは何度も読んだことがあるが。世間一般のごく普通の家庭の雰囲気が現れてこない。



Author

早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


村上春樹『職業としての小説家』」への1件のフィードバック

  1. 奥 祐治

    村上春樹についての紹介文ありがとうございます。また増永氏の講義CDもありがとうございます。増永氏はたくさん勉強されているので、すごく分かりやすくて教示を受けることが多かったです。
    村上春樹の「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」というインタビュー本の中で、(小説がどのようにして生き残っているのか考える場合、僕はひとりの生活者として生活の延長線上にあるものとして文学を考えます。僕の考える物語というものは、まず人に読みたいと思わせ、人が読んで楽しいと感じるかたち、そういう中でとにかく人を深い暗闇の領域に引きずりこんでいける力をもったものです。できるだけ簡単な言葉で、できるだけ深いものごとを、小説という形でしか語れないことを語る、とくべつなメディア・ツールとして積極的に使って攻めたい、物語の力というものがある限り、それはじゅうぶん可能なことだと思います)と語っていることに、強く関心を持ちました。
     読書会の誘いは、積極的に行わず、小浜の友人の浅井君のカフェにチラシを置かせてもらい、万が一関心のある方がおられたら、一度会ってみたいというような感じです。肝心の浅井君は仕事も忙しく、そのような時間はないような感じでした。コーヒーを飲みながら、小説を語るよりも、酒を飲みながら世間話でもしようということでした。浅井君の夫人の智子さんは、小説はあまり読まないけれど、開いている店は自由に使ってもらったらいいということでした。

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