緑内障手術の記


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最初になんとなく見えにくいと感じたのは2017年の春だった。眼鏡が曇っているような気がしてレンズをせっせと拭いていたが、曇り感はなくならなかった。

2017年4月14日、小浜病院に行く。診てもらったが「様子を見ましょう」と言われ、明らかによく見えないのに特に処置がなかったので不安になり、4月20日、福井県済生会病院に走った。

このときのことは『明らかに視野狭窄なのに「様子を見ましょう」と言われても。-緑内障治療顛末記-』と題してすでに書いた。

http://hayakawa-tobe.net/?p=1096

その後、福井県済生会病院に数ヶ月に一度通って診てもらっていたが、下半分の80%が見えなくなっている右目が少しずつだが悪化していて、これ以上進めば手術ですねと言われていた。おまけに、ここ1年ほど前から右目に指している点眼薬で目のまわりが痒くなり、アレルギー反応も出てきた。そんなこんなで、手術を勧められて仕方ないかと決心した。

2020年12月9日 入院

1週間の入院と言われていた。これくらい長いと院内の駐車場に車を止められない。車で入院するのは病院から禁止されている。公共交通機関を使って福井を往復することとなった。

「三重」からバス、小浜から福井までJR。敦賀の駅で乗り換えた時、出発前の電車の中で妻の作ってくれたおにぎりを三個食べた。福井駅からタクシー、1480円。

入院センターで入院の説明を受けて、予め渡されていた書類を提出し、4人部屋に案内される。これからどうなるのか、病院での生活についてそれぞれの担当者がやってきては説明をしてくれる。担当看護師のほか、薬剤師も来た、術後の心配のことを担当する人も来た(経済的なことなど)。入れ替わり立ち替わりで、だんだんごっちゃになってきた。

入院の際にはスリッパは滑るし良くない、履き慣れたものを持ってきてください、とあったので何も持たずに外履きの靴だけでやってきた。担当の看護師さんに「なにか履き替えるのは無いの」と言われ、くたびれた革靴だけだというと、それでは不便だと。簡単な、何かありませんかと頼み、飛行機の中で履く紙で出来たような簡易スリッパを探してきてくれた。以降重宝することとなった。ここの病院はとても親切でありがたい。

3時過ぎにシャワーを浴びた。明日から5日間は頭も顔も洗えないので、しっかり石鹸で頭を洗った。間食ができないので胃袋の調子がいい。手術前の右目に点眼(これは感染予防)、手術の対象となっていない左目には従来の点眼、と時間帯により変わるので、ややこしい。

6時を回っても夕飯が来ないので焦っていたら、20分過ぎに届いた。おかず三品、そぼろご飯。おいしかった。8時には、従来の目薬(眼圧を下げるための目薬、右目に4種類)にさらに一本追加(感染予防の目薬)されて、合計5種類の点眼だった。5分おきに5種類の点眼でる。眼圧を下げるための目薬は今夜で終了となる。点眼と点眼の間、家と頻繁にメールのやりとりをした。

ここで手術前、手術日、手術後の点眼や手術日の点滴、および手術の概要について書いておく。

(1)手術の概要
緑内障は何らかの原因で眼圧が高くなり、視神経がやられて(壊れて)視野狭窄になる病気である。現在、右目の下半分の8割ほどが見えない状態である。やられた神経は元に戻らないので、手術をしても見えなかったところが見えるようになることはない。病気の進行を止めてこれ以上悪化しないようにするのが点眼や手術である。

下の図はインターネットから取った。目の構造はこんなふうになっているらしい。

目の構造

図に前眼房(房水)とあるが、ここの水の流れが悪くなり(眼圧が高くなり)硝子体に圧がかかり、視神経が潰れてしまう。今回の手術では強膜の一部に穴を開けて、そこにエクスプレスという長さ約1mmのステンレス製の筒を入れて、その筒から水を外に出すようにする。出た水は強膜の下に作った袋に一端たまり循環していく。水のたまる場所が広くなって圧が下がる。袋が小さいとあまり圧が下がらないので、術後眼圧を見ながら袋の大きさを変える。袋の大きさを変える方法は、袋を作っている細い糸を切ることで行う。絞っていた糸を切ることで大きくするわけである。この切る処置は、麻酔も何も無く、レーザーであっという間にやられる。

エクスプレスをインターネットから引用する。

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病院の説明資料には1mmとあったが、この図では全長2.6mmになっている。こんなものが目のどこかに入る。2.6mmの両端にそれぞれ異なる目的の、異なる形の突起が付いている。主たる流出路の直径が50μmでその外径が0.38mmである。なんたる工作物と言いたくなる。こんな小さいものを納めるべき場所に納めて房水の流れを調整するのである。

手術前に「失敗することはありませんか」と訊いた。「どんな手術にも合併症はゼロではありません」と言われた。「失敗」では無く「合併症」である。それらは手術前に渡された資料に羅列してあった。すると決めたのだから、それらを見て止めておこうとは思わなかった。

これを書いているのは術後1週間ほど経ってからだが、手術をして良かったと思っている。

なお、手術は白内障と緑内障と両方の同時手術であった。

(2)点眼や点滴

①手術前
手術の3日前から感染予防のため自宅で点眼を始めた。点眼薬はレポフロキサシン点眼薬。1日に4回だった。薬の効能は「細菌のDNA複製を阻害し、増殖を阻害することにより抗菌作用を示します。」

②手術日
瞳孔を開けるために3種類の点眼を一気に行って、それが手術前まで30分おきに4回。点滴液は2種類、一つは化膿止め、もう一つはこれも瞳孔を開けるためと聞いた。点滴は途中で一つは終わったがもう一つは付けたまま手術室に入った。

③手術後
3種類の点眼。一つは手術前から指しているレポフロキサシン点眼薬(キャップ赤)。後の二つは、プロムフェナクNa点眼液(キャップ青)とリンデロンA点眼液(キャップ黄)。

プロムフェナクNa点眼液;「炎症の原因物質であるプロスタグランジンの生成抑制作用などにより炎症を抑えます。」

リンデロンA点眼液;「合成副腎皮質ホルモン剤(ステロイド)で、炎症による目、耳、鼻のかゆみ、赤み、はれなどの症状を改善します。」

キャップ赤と黄は一日4回、キャップ青は一日2回である。

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12月10日、二日目(手術日)

手術前の化膿止めの点滴が始まる。1時間で終わるらしい。すぐに別の看護師さんが来て3種類の点眼、これはいっきに3種類、これは瞳孔を開くためと聞いた。朝食は遅れに遅れ、7時40分なのにまだ来ない(入院のことを詳細に書いた資料の中に、朝食7時、昼食12時、夕食6時とあったが、いろんなお知らせが張ってある廊下のボードを見ると、朝食7時半と書いてあった。それ以降は、焦らずに待っていた)。点眼は30分おきに、合計4回の予定になっている。手術は9時20分から。

食事は8時前に来た。それまでに3回、30分おきに3種類の点眼を連続で入れて、朝食が終わると点滴液2種類をつけたまますぐに外来の診察室に行って、いつもの医師と手術担当の医師の二人の診察を受ける。

病室に帰ると、もう手術ですと、車椅子に乗せてもらい三階の手術室(ここは小部屋がどれくらいあるのかわからないほどいっぱいあった、そのうちのひとつ)に入る。パジャマのまま、簡易スリッパのまま。手術室には6、7人の人がいた。黄色の散髪屋の椅子みたいなのに座り、椅子が倒された。右目の周りに何重にも布のようなものが貼られ、その穴の中に、ジョウロのようなものからいっぱい水をかけられる。麻酔の注射はなく、それが麻酔薬だったようで、すぐに手術が始まった。

SF映画のワープの時のような光が流れて、途中から音楽が聞こえる。白内障の手術の最中喉に痰と唾が溜まってきたので、その旨を声で伝え、ガーゼで二回取ってもらった。やがて、医師から白内障は終わりましたと告げられた。そのあと、緑内障。この時は光はあまりなく、痛くはないが引っ掻いているような感触が続いた。緑内障の方が長かった。それでも全部で30分。

手術室から出たらもう次の人が車椅子に座って待っていた。車椅子で病室まで運んでもらった。午前10時過ぎだった。右目に大きな眼帯。

午後1時過ぎまで右目周辺と頭の一部分に麻酔が効いていて鉄仮面をかぶっているような感じが続いた。外から叩くと岩が入っているような、そんな感じ。昼食前に妻と子ども四人にメールを出した。昼食は美味しかった。今朝からまで便が出ていないのが気になる。頑張るのは良くないので自然にでるのを待っている。

ザックに入れて担いできた荷物が5キロあり、これくらい重いと担いで帰ってはいけないと担当医に言われ、宅配で送ることにした。病院内のコンビニからゆーパックで送れる。ケアマネの人が段ボールを探してくれることになった。

4時ごろ外来の診察に行く。眼帯を外して眼圧検査、17だった。まだ高いけれどだんだん落ち着いてくると思いますと医師の説明を受ける。便が出ないので、頑張るとよくないみたいだから、下剤を頼もうと考えている。

夕食前、執刀医のN先生が病室に来られ、「手術は成功しましました。今後の予定は、縛ってある糸をレーザーで切って、それから一ヶ月後、なんとかの糸を抜糸します。云々」100%理解できなかったが、やってもらう時に何か尋ねればいいと思い、ありがとうございますとお礼を言った。一週間は眼圧を見たり回復具合を見たりするために必要ですとも言われた。

午後7時過ぎから抗生剤の最後の点滴があった。終わった後、止血に注射痕を強く抑えられた。女性の看護師だったが、その力のすごいこと。腕の部分が痛かった。しかし、すぐに血は止まった。便が二日出ていないので弱い下剤をもらって9時ごろ飲んだ。

12月11日、三日目

11日の朝、やはり出ない。力むと目に悪いと思いので、そうしていない。

今朝眼帯が取れた。感染予防は厳重で、病室に張ってある表には、絶対に目に水など入れないことと書いてある。目薬と注射があることになっている。目薬は従来の左目の点眼もあるので今日だけ看護師による点眼、その後は自分でやらなければならない。(後で分かったことだが、最初の予定表に書いてあった注射は以前のやり方で、今は点眼だけで充分であるとのことだったなかった)

朝8時から病棟の処置室で担当医の診察、終わったら執刀医の先生が再チェックのような形で診てくれた。特別な出血もなく順調ですと。よかった。便が出ないが踏ん張らないようにしている。処置室の前の廊下には5,6人の人が並んで待っている。

処置室から帰り、二日ぶりにシャワーを浴びた。目に入らないよう十分気をつけた。余程でなければ目など入らないことがわかった。

午前中の診察で昨日の手術の糸をレーザーで切った。これから切りますのでと言われ、どこでするのかと思ったら診察室の一番奥にある機械で椅子に座ってあっという間のことだった。麻酔も何も無い。眼圧調整のためらしい。外はいい天気。

ベットにいるだけなので腰がだるくなってきた。便も出ないし、すこし歩いたらと看護婦に言われ、院内の2階を歩いて回った。あっという間であった。便には余り効かない。病室に戻り、同じ部屋で今日退院する人としゃべった。歪んで見える病気、黄斑なんとかで、一週間の入院だったようだ。

午後、少し頑張ったが、便は出た。踏ん張ったことは踏ん張ったので、どの程度なら目に悪いのか心配で目薬を持ってきてくれた看護婦さんに聞くと、それほど神経質にならなくてもいい、悪くなれば見え方も変わるし、充血もする、夕方もう一度診察があるからその時に聞くと良いと言われ、少し安心する。

本日2回目の診察、午前中のレーザーで糸を切った効果を見るためである。眼圧は11まで下がった。便の踏ん張りも影響なかった。今日はこれで診察は終わった。点眼を自分で2回やるだけ。便が出たせいか、お腹の調子はいい。

12月12日、四日目

朝から点眼、左目は従来の眼圧を下げるためのもので右目は術後の感染予防。左目は一種類、右目にニ種類。これらは時間帯によって数が変わる。これらの点眼薬の袋は点眼が終わったら二階病棟の処置室に戻す。

病棟の処置室で診察を受ける。眼圧は10と11。目の様子も良いらしい。よかった。朝、便も出た、それほどがんばらずに。そのとき、たまたま同じ部屋の人で診察を待っていた人に話しかけてどんなのか聞いた。まだ四十代くらいか。四年前から診てもらっていて右目の下がすこし見えないのだけれど、進行が早いので手術になったということだった。手術した方が痛いのだと聞いた。目玉を動かすとチクチクすると。手術の時より痛いと。大変だ、私はなんともないので、良かった。

昼食後2回目の診察。眼圧正常(12)。本日は糸を切るなどの処置なし。見るのに何か不自然なところは、全くない。診察後、シャワーを浴びた。タオルに石鹸を付けて目には絶対に水がかからないようにして、体を洗った。軽くなった。気持ちいい。

12月13日、五日目

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朝、いつものように両目に点眼。朝食後、検温と血圧。血圧は昨日と同様100台である。11時前、診察。眼圧は10、11。今のところ再処置はしなくても良さそう。予定通り帰れそうである。便は頑張らないと出ないので控えている。午後も出なければ薬をもらう。病院内を歩くと言ってもしれている。今日は階段を上り降りしてコンビニを見てきた。

今朝、YouTube で埴谷雄高のお別れ会をやっていて、別に録画したのだろう、加賀乙彦、島田雅彦、鶴見俊輔の話を聞いた。鶴見が1番良かった。良いものを見た。これも入院のおかげである。

午後;便は出た。どれくらいいきむと良くないのか分からず、少し不安な気持ちで、頑張る。昨日と同じ程度なのだから大丈夫だろうと思いながら。

12月14日、六日目

雨、相部屋で同じ日に手術したNさん(40代半ばの男性と思って尋ねたら、33歳と言われた、失礼なことをした)は、まだ目に痛みが残っていると今朝聞いた。私がもう痛くないと言ったら、「人によって違うのですね、がんばります」と。なんだか可哀想になった。何もなければ、今日は頭を洗える。診察待ちである。

Nさんは26の時、両目が真っ白に見える自覚症状があって緑内障がわかった。その時眼圧は40あったらしい。自覚症状のある緑内障は珍しいと言われたみたいだ。

診察で眼圧は10だったが、執刀医の先生の判断か、またレーザーで糸を切った。これは少し鈍痛がした。切ったあと風呂に入るのは支障ないとのことだった。昨日、一昨日と排便の時踏ん張ったのは影響なかった。

お昼前、シャワーで洗髪をした。いい香りの石鹸で2回洗った。すっかり頭が軽くなった。予定通り水曜日に退院できるといいのだが。医師は慎重で眼圧を見ながらですね、などという。ケアマネの人にダンボールをお願いした。水曜日退院なら明日の火曜日家に荷物を送る。そうなって欲しい。

今朝の2回目のレーザーによる糸切断で眼圧が6まで下がった。今後これくらいで落ち着けば帰れるとのこと。明日また測定して退院できるかどうか決まるみたい。今日の時点では、「水曜日退院です」とは言われなかった。まあ、仕方ないか、と思う。

レーザーで糸を切るというのは、一回分はあっという間に終わる。バチッといった感じ。ちょっとした鈍痛はある。それが一回でないので緊張する。目の中の糸を(髪の毛くらいの細さらしい)麻酔もせずにあっという間に切るのだから、本当にたいしたもの。

夕方4時過ぎの診察でも眼圧は6だった。明日、退院か否かわかる。
この3回目の診察の時、視力検査もあった。手術前と変わらなかった。むしろよく見えたくらい。

 

12月15日(火)、七日目

外は霙混じりの天気、うっすらと白くなっている。昨日の第一回目の診察で10だった。そのとき、すぐあと、レーザーで糸を切った。結果6まで下がった。午後の診察でも同じ値だった。今朝の測定では9になっていた。落ち着いた値でない、とのことで明日の退院は、今朝の時点では確約されなかった。午後の眼圧測定をもって決まる。そういうことを妻にメールした。(朝、9時)

11時、眼圧は6だった。「9だったら糸を切って様子を見るつもりだった。6なので執刀医のN先生と相談します。退院を強く希望されているし」。午後の診察を待つ。また少し元気になる。現金なものだ。

午後の診察でも眼圧は6だった。これで明日の朝の診察で変わらず6程度なら退院できる。妻に電話した。便はまだ出ていないが今日はがんばらずにおこうときめる。今夜薬をもらう。

ケアマネの人に頼んで前にもらった段ボールが少し大きかったので小さいのと交換してもらった。明日OKなら下のコンビニまで運んでもらう。帰る準備だけは万全だがどうなるのか。

夕方6時、夕飯を待っている。入院は一週間が限度、明日、もう1日いてくださいと言われたら、どれくらい落ち込むことか。今日は便がまだ出ていないので、下剤を頼んだ。これは持ち帰ってはダメ、ここで飲んでくださいと看護師の方から言われる。

妻と電話した時、「眼圧、朝起きるとどうして上がるのかな」と言われ、そんなこと思いもしなかったのに、確かに昨日続けて6だったのに(寝るまで)、起きたら9になっていた。その後、今日は2回測ったが、2回とも6(あるいは5)だった。明日の朝高い値が出ませんように。

本日の最後の診察で医師は目をのぞきながら「早川さんのは形もいいし」とのコメントもあった。もう問題がないように思えるが、ただ翌朝の結果だけが気になる。

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12月16日、八日目(退院の日)

雪が降った。看護師さんが、8時過ぎに外来に行ってくださいと。診てもらったら眼圧は7だった。退院してもいいことになった。退院後の生活で注意すべきことを聞く。重いものを持たないように、目が汚れるようなことはしないように。また何か変わったことがあったらすぐ来るように。執刀医のN先生にもお礼を言う。同じ部屋にいたNさんも退院出来るようだ。よかった。ケアマネの人にダンボールを下のコンビニまで持って行ってもらい家にゆーパックで送る。

10時23分のバスに乗り福井駅に向かう。やっと終わった。



Author

早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


緑内障手術の記」への2件のフィードバック

  1. 鈴木利郎

    小生、10数年前白内障の手術をし、緑内障でなくてよかったと思っていた。
    ところが、緑内障であったとは、登山など、差支えなかったのだろうかと思います。
    3年前に、緑内障が見つかったとのこと、そこで進行は止められなかったのか。
    毎年、健康診断では眼圧の測定は実施しているはず。
    ただ、あの眼圧の測定も頼りない気がするが。

    現在も、やはり、進行を止めるだけで、治すというわけにはいかないのだね。
    緑内障入院手術の詳細、入院中は治療が気になって、後になってあれはどんな数字だったのか、と思うことが多い。
    それが詳細にわたり、記され、緑内障を患った人には参考になるでしょう。
    医療の専門家ではないけど、患者の専門家なのだから。

    食欲、排便の記、その点では貴兄は健康だと思う。
    ケアマネジャーが病院にいるんだ。

    何はともあれ、退院おめでとう、お大事にして下さい。

    返信
    1. 早川 博信早川 博信 投稿作成者

      丁重に読んでくれてありがとう。
      質問に順番に答えると;
      (1)3年前のエベレストBCトレッキングには全く影響なかった。トレッキング中、高血圧の薬を飲んでいたが、降りてきたら薬が不要になった。今は全く飲んでいない。
      (2)3年前に見つかったあと、医師の指示に従って目薬を、それこそ、真面目に指していたが(途中で目薬が増えた)、それでも進行が止まらなかった。
      (3)緑内障の治療は進行を止めるだけで治すというはない。今のところ。眼科の医師に「iPS細胞では」と聞いたら「いつになるか分かりません」と言われた。
      (4)「患者の専門家」は言い得て妙。これからこれを借用して、私は患者の専門家ですと言うことにする。
      (5)病院にいると食べるのが楽しみの一つになる。間食はないので、しっかりとかんで食べた。ご飯は100回ほど。基本的には自分は健康と思っている。目が1/4が潰れていても、耳が遠くて機器に頼っていても、無呼吸で治療が必要な感じになっていても、山に行けば終日、7,8時間は歩けるので(平地ではなくて数100mを登ったり降りたり)、どんなもんだ!くらいの感じでやっている。

      本当にありがとう。互いに元気にやりましょう。
      早くコロナが終息して同窓会をやりたいね。

      返信

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