本書はタイトルから通俗的に想像されるような料理本でも行儀作法の本でもない。「はじめに」と「おわりに」をふくめて17の異なる物語はページ数にして10から25ページだが、いずれも上質の短編小説のようであった。また、本書は、これまで世界を旅してきた著者の心に深く残っている「もてなし」と「ごちそう」の、とっておきの一覧でもある。
本書の「もてなし」は、オリンピックを東京に誘致するために某有名タレントが「お・も・て・な・し」などと言ってあたかも日本独自の文化のような印象を与えたそれではなく、-このことについては著者もどこかで苦々しい思いでいることを述べていたが-、それぞれのところでそれぞれの人たちが持っているhospitality のことである。
「もてなし」と「ごちそう」から何が見えるのか。歴史と社会と政治的状況とそこに住む人々の心意気と悲しみと喜びとユーモアと、その他、もろもろのこと、それらが時にははっきりと時には隠喩的に見えるのである。
「はじめに」と「目次」の次に「もてなしとごちそう地図」と題して、本書で取り上げられている、もてなしのごちそうと都市名が地図上に示されている。アジア6ヶ所、中東1ヶ所、ヨーロッパ3ヶ所、アフリカ6ヶ所、北米1ヶ所、合計17ヶ所である。ごちそうは、伝統的な家庭料理や豪華なと言って良い料理もあればインスタントコーヒーの場合もある。
本書の著者、中村安希さんは、2007年『インパラの朝』で第7回開高健ノンフィクション賞を受賞している。わたしはこれを読みいたく感銘し、当時、名田庄多聞の会の講師を探していたこともあり、彼女のホームページから講師依頼のメールを出したら、快く承諾してもらえ、話を聞くことができた。2011年5月21日、第18回名田庄多聞の会である。参加者は39名であった。その後も、もう一度、名田庄多聞の会に来てもらった。そのときの話はLBGTがテーマであった。
旅を続けていて彼女は「食べていかない?」と声を掛けられる。ありがとうございます、とお誘いを受ける。そのときのなんとも言えないタイミングと、その後のおもてなしの様子と、そこの家族とのやりとりなどを読んでいると彼女はつくづく愛される人だと思う。たくさんの人から愛される人がいることを知るのは、とても気持ちが良い。
なぜ声を掛けられるのか。多分、このひとは呼んでも問題ない、面白い楽しい話も聞けそうだし、このひとと一緒に食事をしたい、などということを声を掛ける側で一瞬のうちに感じるからなのだろう。互いの全人格的感応といえばおおげさになるか。
「もてなし」を受けて、あたかも、ずっと前からそこにいるように、しかし、適切な距離感を保って、たぶんこの距離感は長い旅の経験から得られたものなのだろうが、彼女は、初めて会った現地の家族と、あるいは宿が一緒だった中国人の技術者たちと、あるいは再会を約束して会いに行った女性友達と、賑やかに、食べて飲む。ときには人恋しさを感じながら。
この本の「もてなし」は必ずしも、楽しく愉快なものだけではない。ロヒンギャの難民キャンプのこれも難民である医師からおごってもらった一杯のコーヒー。そこでのやりとりには難民のことすべてが現れている。あるいは、大枚を払って行った朝鮮民主主義人民共和国の4日間のツアーでのガイドとのちょっとした議論と豪華なホテルの豪華な食事。
「はじめに」と「おわりに」を加えた、全17個の料理は下記の通りである。
料理の名前を見ただけで、これは何だ、食べてみたい、となるではないか。もてなしとごちそうとその国の、それらに至るまでの小さな(大きな?)物語は是非本書を手に取って。彼女のような旅ができるように、コロナが一刻も早く終結することを願わずにはおられない。
はじめに ムチャジワサマキ ー タンザニア
1 クスクス ぅちに食事に来ませんか - チュニジア
2 干拌面 ルーツに沁みる汁なし麺 - 華僑
3 マトケ マッシュドバナナが恋しくて - ウガンダ
4 アキー&ソルトフィッシュ テスタおじさんの滋味 - ジャマイカ
5 ヒン 九年越しの食卓 - ミャンマー
6 インスタントコーヒー ご馳走させてもらえませんか- ミロヒンギャ難民キャンプ
7 バ-ズィンジャーンマタリー ナスの素揚げが食べられるまで - シリア
8 平壌冷麺 臓腑を揺さぶる贅沢の味 - 朝鮮民主主義人民共和国
9 フィシーフ ウキウキしながらボラを食う - エジプト
10 イフタール 断食明けのまぜご飯 - バングラデシュ
11 ゴヴェヤユハ スープの冷めない距離 - スロヴェニア
12 クゲリス 時代を語るポテトプリン ― リトアニア
13 ツェドメモクモタ カタチのちがう蒸し餃子 - ラダツタ
14 ブンナ アラビカコーヒーの森へ ー エチオピア
15 年菜 おせち料理に願いを込めて 一 香港
おわりに 名もなき料理 - ドイツ
リトアニアの、朝から高濃度アルコールを飲みながらの会議、そしてその議事録が一分の隙もないものであったという話には本当に笑った。このことを語っている3人の女性ともだちと中村さんの笑い声が聞こえるようであった。