名田庄多聞の会とはどのような会でどのようにして始まったのか、第1回から第13回の記録を印刷物として出した時に書いた「はじめに」を引用することで説明に変えたい。
<引用>
平成17年12月10日、第1回名田庄多聞の会を旧名田庄村の山村開発センターで開催し、以来、ほぼ4ヶ月に一度のペースでこの会を同じ会場で続けてきました。平成21年11月21日の第13回までの記録をこのような形にして世に問うことが出来るのは、この会を立ち上げた者として望外の喜びです。
名田庄多聞の会とはどのような会なのか、生い立ちも含めて簡単に説明します。
私事になりますが、平成17年の3月末をもって、それまで勤めていた県庁職員の職を辞しました。原子力発電所周辺の放射線監視が仕事でしたが、職を辞する4,5年前ごろから、専門家の専門的知識をいかにして普通の人たちに伝えるか、そのことが研究会や学会で意識的に取り上げられるようになりました。それまでそのような動きがなかったわけではありませんが、何かを伝えるときに欠かすことの出来ない原理や方法について、研究活動がそれまでにも増して精力的になされ始めたという状況でした。
原子力に限らず、食や環境や医療や、それこそ様々な問題について、専門家は解説し、解決できるであろうと提案を差し出し、啓蒙的といえる活動を行っていますが、それらは我々普通の人々に向かって一方的になされているのがほとんどです。マスメディアではいうまでもなく、講演会でもパネルディスカッションでも我々は聞くばかりです。これではダメだといつも考えていました。尋ねたいことを時間を気にせずに聞ける、そんな会が必要だと思っていました。
大いに聞いて大いに尋ねる、という趣旨から、会の名称を「名田庄多聞の会」としました。質問時間を十分に取ることがともかく大切だと考えていたので、あるテーマについて講師の先生に話してもらう時間を一時間、質問時間はそれより長い一時間半にして、そこで話されたことは全て録音する、それを世話人代表が原稿に起こして、村全体の共有財産として残す。そんなことを考えて、旧名田庄村の生涯学習の担当者に提案をしたところ、ありがたいことに、村から財政的援助が可能であると回答を得ました。とてもうれしかったのを覚えています。
旧名田庄村が大飯町と合併して、おおい町となった後も、名田庄多聞の会の活動は、生涯学習の一環であるという位置付けは変わらず、町からの財政的援助を受けています。印刷物を発刊できたのもそのおかげです。
第1回から第13回までのテーマは、世話人会で話し合って決めたもので、広範囲にわたっているように見えますが、いずれも毎日を生きていく上で学んでおくべきことばかりです。参加した者はそれぞれの生活から尋ねたいことを尋ね、それに対して講師の方々は本当に真摯に答えてくださっています。そこには、論文や書籍では見ることが出来ない研究者の姿を見ることができます。これからも同じスタイルで続けていきたいと思っています。名田庄多聞の会に参加くださる方は、豊かな人生を送るのに欠くことのできないものを得られるに違いないと確信しています。この印刷物が名田庄多聞の会をさらに発展させて、多くの方がこの会に参加されますよう、切に願っています。
(平成22年3月 名田庄多聞の会・世話人代表 早川博信)
上記の説明に間違いはないのだけれど、追記したいこともあるので少しだけ:
(1) 名田庄多聞の会は会員制の会ではありません。通し番号が振られているだけの会合毎の名称です。従って、何人の方が参加されるのか、会が始まるまで分かりません。これは主催者としては心配なことで、講師の先生方は「何人でもかまいませんよ」と言われ、実際少人数のときでも「良い会でした、良い話し合いができました」と言って帰られるので、心配しなくてもいいのかなとは思っているが、それでも町の財政的援助を受けてやっているので、あまり少ないと「そのようなことを続けて意味は・・・」などと言われかねない。ただ、テーマに興味のある人に来てもらえればいいので、社会的に立派な先生だからといって“サクラ”で人集めをすることはしないという原則は曲げないでやっている。
(2) 講演の記録はすべて残していると引用のところで書いたが、これは講師の話だけでなく講演後の質疑応答も含めすべて文字起こしているという意味で、この作業がけっこうきつい。デジタル録音を聞きながら文字を打っているが、ブラインドタッチができないので、なんども同じところを聞くことになる。しかし、このような作業を繰り返していると、講師の話を聞き逃していたことや、あるいは誤解して聞いていたことに気づく。質疑応答のところでは、質問者の真意を改めて知ったり、講師が質問者の質問を理解せずに答えていることにも気づく。これらのことは、いま普通に生活する上でとても役に立っている。ひとの話をじっと聞く癖がついているような気がしている。
(3) 名田庄多聞の会をはじめるときは啓蒙的な志向が皆無ではなかったように思うが、それよりも定年後の生活でなにか核になるようなことをはじめること、および地元のひとと関わることを継続的にやることなどがこの田舎でこれから住んで行く上で大切なことだと考えていたようにおもうので、それが実現されているいま、ありがたいことだと思っている。名田庄多聞の会は「一時的な自由空間」である。ここでは何を話しても何を聞いてもいいのですね、と感心したような、あるいはびっくりしたような様子で話されるひとがときどきいるが、これは名田庄多聞の会の本来の役割のひとつが理解されたからでないかと思っている。そんなひとが増えればもっと住みやすくなるだろう。
以下にこれまでの名田庄多聞の会の記録がすべて載せてあるので興味のある方は是非覗いてみてください。
第1回 2005/12/10
「お釈迦様のお智慧を拝借」 宮下晴輝(大谷大学)
お釈迦様はなぜ出家したのか。老病死の苦しみを見て出家した。そこからわれわれが学ぶことは何か。参加者の活発な議論があった。 (12名)
第1回名田庄多聞の会記録 (お釈迦様のお知恵を拝借)
第2回 2006/02/18
「原発のある町の人たちから聞いたこと」 北村正晴(東北大学)、八木絵香(大阪大学)
専門家が信頼されるのはどういう時か。どういう人か。立場の異なる集団が対話することは可能か。それらの実践経験について語った。(5名)
第2回名田庄多聞の会記録 (原発のある町の人たちから聞いたこと)
第3回 2006/06/13
「アスベストと私たち」 日下幸則(福井大学)
アスベストとは何か。それによる病気にはどのようなものがあるか。今後どれくらいの死者が予測されるか。専門家はなぜこれらを防げなかったのか。(16名)
第3回名田庄多聞の会記録(アスベストと私たち)
第4回 2006/10/14
「中国太湖 湖畔の風景」 江角 比出郎(JICA)
JICAの専門家として中国の水処理事業に参加した。そこでの中国側とのやりとりや今後の事業展開、並びに周辺地域での汚水処理(トイレ)について。(12名)
第4回名田庄多聞の会記録(中国太湖 湖畔の風景)
第5回 2007/03/24
「食品添加物について考えましょう -食品添加物の功罪-」 加藤隆夫(仁愛大学)
食品添加物の種類、安全性、表示の見方、消費者はなぜ不安に感じるのか等について講演後、質疑応答。食生活の基本は「我が家の食事」である。(9名)
第5回名田庄多聞の会記録(食品添加物について考えましょう)
第6回 2007/06/14
「ご縁ありて 今」 奥嶋佛心(名田庄、曹源寺住職)
普通の家庭に生まれて僧になるまでに歩んできたこれまでの生活;僧になるのは自然な成り行きであった。無所有・無一物、捕らわれているものから自由になること。(30名)
第6回名田庄多聞の会記録(ご縁ありて いま)
第7回 2007/10/31
「森と里と海をつなぐ土」 原田 憲一(京都造形芸術大学)
土に由来するミネラル(元素)がすべての生物を基本的なところで支えている。森と里と海もその役割を土を介して統一的に理解できる。環境問題の現在・未来についても話があった。
(17名)
第7回名田庄多聞の会記録(森と里と海をつなぐ土)
第8回 2008/02/29
「山や川などの自然からうつる病気」 岩崎 博道(福井大学医学部)
感染症、自己免疫症、免疫について基本的な学習をした。講演後、参加者は日頃の生活から疑問に思うこと、気になることなどを演者に質問し活発な質疑応答があった。(22名)
第8回名田庄多聞の会記録(山や川などの自然からうつる病気)
第9回 2008/07/19
「揺れる子どもの心、揺れる大人の心」 松原 六郎(財団法人松原病院 理事長)
子供達の正常な成長が家庭の抱え込みで阻害されている。子供時代に“悪さ”をすることで、社会生活上の技術が取得できるのに、それが今できない世の中になっている。鬱病とその原因、認知症の対応等に付いても話があった。(20名)
第9回名田庄多聞の会記録(揺れる子どもの心、揺れる大人の心)
第10回 2008/11/30
「放射線と人間」 甲斐 倫明(大分看護科学大学)
放射能、放射線、被ばく、電磁波などの基本について学んだ。発ガンの危険性から言えば、タバコと生活習慣が大きく、放射線被ばくによるのは無視できる程度である。ただし、充分な管理は欠かせない。(14名)
第10回名田庄多聞の会記録(放射線と人間)
第11回 2009/03/14
「池田町の元気のひみつ」 伊藤 弘文(池田町 米作農家)
伊藤さんが孤軍奮闘でやってきた無農薬・減農の米つくりにやっと時代が付いて来た。生ゴミ回収・肥料化、廃油の再利用等、行政側のアイデアと相成って、町全体の中高年が元気である。(11名)
第11回名田庄多聞の会記録(池田町の元気のひみつ)
第12回 2009/07/11
「ネットワーク上の匿名とプライバシーの問題」 江口 聡(京都女子大学)
インターネットの特徴、そこでの匿名性とプライバシーに関して、原理的な問題および最近の出来事について説明があった。身近な問題に質問が出た。(12名)
第12回名田庄多聞の会記録(ネットワーク上の匿名とプライバシーの問題)
第13回 2009/11/21
「寄せ場釜ケ崎が映しだすもの」 小柳 伸顕
(釜ケ崎キリスト教協友会、日本キリスト教団牧師)
釜ケ崎にかかわって40余年。そこで見聞きされたことを聞いた。貧困がもっとも先鋭的な形で現れる釜ケ崎の話は想像を超えるものであった。(12名)
第13回名田庄多聞の会記録(寄せ場金ヶ崎が映しだすもの)
第14回 2010/03/27
「貧困と野宿を考える」 生田 武志
(野宿者ネットワーク代表、「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」共同代表)
ホームレスや野宿者の現状、およびそのような状況を生み出した要因などについて話を聞いた。釜ケ崎でホームレスのために、夜回りしている子供たちの様子をビデオで見た。(31名)
第14回名田庄多聞の会記録(貧困と野宿を考える)
第15回 2010/06/26「農村を元気に、若者と年寄りが楽しく暮すために」 竹谷 裕之(名古屋大学名誉教授)
日本の農業が元気を失った歴史的状況についてまず説明があった。現在、農業に積極的に取り組む若い人がいて、その成功例がいつか紹介された。(27名)
第15回名田庄多聞の会記録(農村を元気に、若者と年寄りが楽しく暮すために)
第16回 2010/12/04
「どうなる?どうする!日本の食と農」 北川 太一(福井県立大学)
TPPや食べ残し問題や日本農業の将来像など、今の食と農に関する楽観を許さない状況について聞いた。農業は「経済」だけでみるものではないとの話もあった。(10名)
第16回名田庄多聞の会記録(どうなる?どうする! 日本の食と農)
第17回 2011/03/05
「インドの家庭料理に学ぶ」 木下順子(小浜市、ヨーガ講師)
インドの家庭では、「台所を薬局に」という考えのもと毎日の食事が行われている。講演の後、講師の指導のもと、インド料理をみんなで作って食べた。(19名)
第17回名田庄多聞の会記録(インドの家庭料理に学ぶ)
第18回 2011/05/21
「世界を旅する」 中村安希(ノンフィクション作家)
バックパックで47カ国、2年の旅から見えた世界。マスメディアが伝える世界とは別のものがそこにあった。海外から見える日本の姿も。参加者は講師と一緒に旅をした。質問が百出した。(39名)
第18回名田庄多聞の会記録(世界を旅する)
第19回 2011/11/05
「生老病死-東日本大震災に思う」 宮下晴輝(大谷大学)
被災地の子供達の作文を素材に、人が生きていく上で大切な信頼関係や生きていることの不思議やありがたいことなど、釈尊の教えと重ねて話しを聞いた。質疑応答も各自の体験を踏まえて活発であった。(20名)
第19回名田庄多聞の会記録(生老病死-東日本大震災に思う)
第20回 2012/02/11
「東日本大震災と赤十字活動について」 山本裕行(日本赤十字社福井県支部 総務課長)
震災直後に救護班を現地に派遣した日赤の活動について話しを聞いた。そこで必要だったのは、現地の人の声を聞くこと、悲しいときには救護班も一緒に泣くことだった。赤十字の活動そのものについても話しがあった。(19名)
第20回名田庄多聞の会記録(東日本大震災と赤十字活動について)
第21回 2012/06/16
「漢字の話題あれこれ」 久保裕之
(立命館大学専任職員、白川静記念東洋文字文化研究所文化事業担当)
福井県が生んだ偉大な学者、白川静の人となりや白川先生が明らかにされた漢字の成立・意味をクイズやエピソードで語ってもらった。(20名)
第21回名田庄多聞の会記録(漢字の話題あれこれ)
第22回 2012/09/08
「日赤宮城県支部での赤十字奉仕団活動等、~東日本大震災での活動報告と今後の課題~」 井上 嘉秀
(日本赤十字社宮城県支部 組織振興課、奉仕係長)
震災時、赤十字宮城県支部がどのような活動をしたか、また現在、仮設住宅などを対象にどのような活動をしているか、トチアーゼとはどのようなことであるか。講演後活発な質疑応答がなされた。(14名)
第22回名田庄多聞の会記録(日赤宮城県支部での赤十字奉仕団活動等)
第23回 2013/03/02
「世界から見た日本のエネルギー問題」 三宅 成也
(KPMGマネジメントコンサルティング 株式会社)
東日本大震災以降、ほとんどの原子力発電が停止状態にある。これが今後の日本に及ぼす影響について、エネルギーの観点からさまざまは話しがあった。初めて聞くことも多かった。(23名)
第23回名田庄多聞の会記録(世界から見た日本のエネルギー問題)
第24回 2013/06/01
「モンゴル大平原の世界へ」 和田エンケザヤ(福井県国際交流協会ボランティア登録会員)
モンゴルの自然、文化、経済等について豊富な写真を交えて話を聞いた。遊牧民の生活も知ることができた。心豊かな世界を垣間見ることができた。(17名)
第24回名田庄多聞の会記録(モンゴル大草原の世界へ)
第25回 2013/10/19
「エネルギーから見た30年後の社会を予想してみる」三宅 成也
(KPMGマネジメントコンサルティング 株式会社)
これまでエネルギーがどのように使われてきたか、生活とエネルギーの関係について説明があった。次に、30年後を予想するための3つのエネルギーシナリオとして、次の三つが検討された。(13名)
第25回名田庄多聞の会記録 (エネルギーから見た30年後の社会を予想してみる)
第26回 2014/02/08
「「笑育」 ~子どもを自立へ導く関わり方~」 荒巻 仁
(特定非営利活動法人:「パパジャングル」 理事長)
基本的には遊びを通して子どもを育てるという「笑育」について、自己の辛い過去から得た実例を元に話された。多くの質問があった。(13名)
第26回名田庄多聞の会記録(「笑育」~子どもを自立へ導く関わり方~)
第27回 2014/05/11
「南極観測越冬隊の一年」 早川由紀子(第54次南極地域観測隊・越冬隊員)
南極での観測や生活など、実際に着た防寒具等も示し、たくさんの写真と動画で具体的な姿を知ることができた。
(135名、内、名田庄地区70名)
第27回名田庄多聞の会記録(南極観測越冬隊の一年)
第28回 2014/10/18
「淡水魚は海へ行く!?」 岩谷芳自(福井県内水面総合センター 所長)
北川、南川に生息する淡水魚の種類と生活史等について解説し、淡水魚を守るためには川の環境ばかりではなく、海の環境も守る必要のあることが述べられた。(22名)
第28回名田庄多聞の会記録(淡水魚は海に行く!?)
第29回 2015/03/15
「自然と暮らす“旧暦”」 松村賢治(一般社団法人 南太平洋協会 理事長)
旧暦が生活に根ざしたこよみであり、農業にはとても有効なものであることが数々の実例で示された。また、環境戸の共生についても実践活動を元に説明があった。(12名)
第29回名田庄多聞の会記録(自然と暮らす“旧暦”)
第30回 2015/06/20
「革仕事の原点は西部劇 アメリカからスペインへ」 保田芳文(革作家)
革作家になった原点は西部劇の熱烈なファンだったこと。革を求めて、西部劇の撮影現場を求めて、アメリカとスペインへ非常識的な旅を繰り返している演者の情熱的な体験談の数々を楽しむことができた。(21名)
第30回名田庄多聞の会記録(革仕事の原点は西部劇 アメリカからスペインへ)
第31回 2015/11/14
「山が暮らしの場であった人たち」 増永迪男(登山家、福井山岳会会長)
嶺北地域を例にとって、焼き畑で暮らしていた人々の具体的な生活の様が語られた。嶺南地域の木地師についても言及があった。焼き畑が広大な土地を必要とする農業であったことを知った。(26名)
第31回名田庄多聞の会記録 (山が暮らしの場であった人たち)
第32回 2016/03/02
「土中に眠る歴史をやさしく掘り起こす ~考古資料から歴史を考える ~」 下森弘之
(一滴の里学芸員)
旧石器時代、縄文時代、弥生時代と通史的に隠れキリシタンまで、考古学とはどのような学問でどのような成果が得られているか、現物を交えて興味深い話しであった。(28名)
第32回名田庄多聞の会記録 (土中に眠る歴史をやさしく掘り起こす)
第33回 2016/05/08
「リオ先生に出会ってからの15年」 中村安希(ノンフィクション作家)
LGBT(性的少数者)が特殊な存在でないことを自分の著作と体験からユーモアを交えて語ってもらった。「人はみんな、何かしらの違いを抱えて生きている」(26名)
第33回名田庄多聞の会記録(リオ先生に出会ってからの15年)
第34回 2016/09/04
「宮城県で3・11大津波直撃と福島第一事故放射能飛来を体験して」 石川陽一
(元宮城県原子力センター所長)
自身も一時津波に流され助かった経験を持つ演者から、福島事故時の宮城県の現状と対応、その時の問題点など具体的な話を聞くことができた。(18名)
第34回名田庄多聞の会記録(宮城県で3・11大津波直撃と福島第一事故放射能飛来を体験して)
第35回 2017/03/05
「こんなに変わった名田庄の暮らしや自然、こんなふうになってほしいこれからの名田庄」
小西勇(元八ヶ峰旅行村オーナー)、細川正博(おおい町会議員)
昭和20年、30年代の暮らし、そこから見えるいまの暮らし、今後の名田庄のあり方、など様々な観点から論じられ、質疑応答も盛んであった。(30名)
第35回名田庄多聞の会記録(こんなに変わった名田庄の暮らしや自然、・・・)
第36回 2017/04/16
「おかめのてんこもりライフ」 阿部美和子(舞鶴市、フォークグループ「123」)
スキルス性進行癌を驚異的に克服した演者は、講演間に歌をはさみ、これまでの人生、これからの人生を語った。参加者に深い感銘を与えた。(20名)
第36回名田庄多聞の会記録(おかめのてんこもりライフ)
第37回 2017/06/17
「新しい観光の形と名田庄の潜在的魅力」 木川剛志(和歌山大学観光学部准教授)
最近の観光は日常生活の場が興味の対象になっている。地元を活性化するための観光には、様々な団体が協働して行っていくことが必要である。(17名)
第37回名田庄多聞の会記録(新しい観光の形と名田庄の潜在的魅力)
第38回 2017/12/10
「国境なき医師団の活動 ー外科医として医療援助に参加してー」 小杉郁子
(福井県済生会病院、外科医長)
「国境なき医師団」の概要と、実際経験された現地での活動について話を聴いた。医師団が命の危険にさらされることもある。積極的な質問が多かった。(36名)
第38回多聞の会記録
第39回 2018/07/16
「メキシコに暮らして~メキシコ日本人学校における国際交流~」
(福井市光陽中学校 三上あずさ)
メキシコの日本メキシコ学院、日本人学校に2年間勤めた経験をもとに、メキシコの文化や教育に関して日本との違いなど、豊富な写真とともに話を聞いた。(14名)
第39回名田庄多聞の会記録(メキシコに暮らして~メキシコ日本人学校における国際交流~)
第40回 2019/03/10
「渡辺淳先生を語る」
(上中きみ子、福本人司、門野幸己、下森弘之、田歌昇)
淳先生と深い関わりのあった方々が、それぞれの思い出を語った。絵画の技術的な説明もあった。参加したものは改めて淳先生の人柄と偉大さを知った。(17名)
第40回名田庄多聞の会(渡邉淳先生を語る)