2016年8月19日、中部電力浜岡原子力発電所を見学した


地元の勉強会のグループ、「名田庄原子力基礎教室、311の会」の仲間4人と中部電力浜岡原子力発電所を見学した。見学の目的はふたつあり、ひとつは廃炉措置、もうひとつは再稼働に向けた津波対策である。

 前日の18日、Hは予め予約してあったレンタカーを小浜までとりに行った。長距離の移動なので楽な車をと、車に詳しい人が予約してくれたのは6人はゆっくり乗れるトヨタの大きな車であった。いつも乗っている自分のコンパクトカートとはずいぶん違う。緊張して名田庄まで運んだ。

 19日、朝6時役場前にみんなが集まった。Y、KNK(女性)に小生(H)の5人。運転をKさんにお願いして出発、小浜から高速に乗って途中二回ほど休憩を取って浜松ICで下りる。国道150号線で浜岡原発のある御前崎市(旧浜岡町)へ。11時前に着いた。今夜のホテルは国道沿いにあってすぐ分かった。発電所の人との待ち合わせ場所である浜岡原子力館に一度行って場所を確認し、11時開店の回転寿司で昼食をとった。

 福井県にある原発はいずれも半島の先端の、原発ができるまでは道も細い寒村と言われていたようなところにあるが、浜岡原発は150号線のすぐそば、車がビュンビュン通るところから少し入ったところに位置していて、僻地に建設される原発のイメージからはほど遠く、みんな「にぎやかなところやんか」などと感想を言っていた。ただし、原発ができるまでがどうだったのか、現地で聞くのを忘れた。

 浜岡原子力館に1時集合だったが少し早く行く。原子力館のエントランスの柱に張り紙があり、「ここにはポケモンがいません」。大きな屋根の下にはすでに案内してくださる発電所の方が待っていてくれた。松井さん(原子力安全技術研究所 研究副主査)と増田さん(浜岡地域事務所 専門部長)と女性2名。増田さんが説明者であった。原子力館の会議室で全体の説明をまず聞いた。

 スライドを使った30分ほどの説明(DVD鑑賞も含む)の中で印象に残ったことを羅列的に下記に挙げる。

  1. 浜岡原子力発電所を中心としたPAZ(放射性物質が放出される前の段階から予防的に屋内退避、避難等を行う地域、半径約5km)とUPZ(予防的な防護措置を含め、段階的に屋内退避、避難、⼀時移転を行う地域、浜岡では半径約31km)に含まれる11市町の人口は約84万人。
  2. 浜岡の海岸は遠浅で発電所が面している海に荷揚げ用の岸壁を作ることができなかった。そのため原子炉圧力容器やタンク類などすべての大型機器を御前崎港から陸送した。また、取水口は沖合600mに設置した取水塔から海底に掘ったトンネルを通して取っている。
  3. 津波対策のひとつである高さ22mの防波壁の全容を写真で見せてもらった。防波壁は遠州灘に面して立っていた。その両脇は海抜22m~24mの盛り土で堅め敷地全体を囲っている。
  4. 燃料プールで10年ほど冷やした使用済み燃料を、再処理施設に運ぶまでの間、施設敷地内で保管するために空冷式の乾式貯蔵施設を建設するという。これは、再処理施設への移送が容易に行えないことを想定した、半永久的貯蔵庫でないかという印象をもった。

概要説明を終えて原子力館の展示物を見せてもらう。防波壁の一部実物模型の他、原子炉の実物大模型もこの原子力館の中に展示されていた。防波壁の一部実物模型の前には説明パネルがあり、そこには次のように書かれていた。「基礎鉄筋には、JI規格最大級サイズの鉄筋(D51;約5cm)を使用しています」。太い鉄筋が密に詰まって組まれていた。そこにコンクリートを流して壁にしてある。会社の広報誌には、「当社は、本日、浜岡原子力発電所の津波対策である防波壁の設計・建設に関して、公益社団法人土木学会の「平成26年度土木学会賞(技術賞)」を受賞しましたので、お知らせします」とある。土木工学的に優れているということだと思うが、それがどれくらいの津波を想定しているのか、その想定が妥当なものなのかどうか、素人には判断できない。本当に大丈夫なのか、大丈夫でないのか。つまり、この判断にはその道の専門家と同程度の知識を持たなければならないのだろうが、それは我々には不可のことであると言える。 

原子力館にはエレベーターの通る二本の円筒形のタワーがあり、その先端どうしが廊下状のガラス張りの通路で結ばれている。通路の部分が展望台になっている。片面がガラス張りのエレベーターに乗って登ると原子炉実物大模型を見ながら上昇する仕掛けになっていた。展望台からは敷地の全容が見渡せた。パンフレットに依れば、展望台は、地上高37m、海抜では62mとある。また、「浜岡原子力発電所の主要施設と御前崎市内の様子を一望でき、天気の良い日には富士山も見ることができます」と。ただしここからの写真撮影は禁止で、監視員の方がいた。 

一望の下に見渡せる発電所の敷地内は、発電施設と言うより土木工事の現場と言った方が良いくらいあちこちでトラックが走りまわりクレーンが腕を伸ばしている。防波壁が海岸べりから立ち上がりうねうねと敷地を囲んでいる。両脇に同じくらいの高さの盛り土の防波土手がある。これらは、2011年の福島事故後、社長の一声で1年以内に完成と号令がかかり24時間体制で建設に取りかかり13ヶ月で完成したという。登りのエレベーターでは原子力館の中の原子炉実物模型をガラス越しに見たが、帰りは防潮壁の模型を上から下がりながら見た。 

原子力館をでて車でまず防波壁に向かう。大型トレーラーが行き交っている敷地は交差点などでなかなかスムーズに進めない。途中、盛り土をしたその上が広い駐車場状態になっていて、そこに全電源喪失時に備えて、新品のピカピカの、取水ポンプ車、注水ポンプ車、放水砲、大容量送水ポンプ車、直流電源車、交流電源車などなどがずらりと並んでいる。壮観である。すべて車両ナンバーが付いている。運転や操操作は、当然といえば当然だが、すべて社員で出来るよう訓練していると聞いた。非常時のためにはここまでしなければならない。これまではなかったのだから、長時間の全電源喪失は想定されていなかったということになるだろう。防波壁のすぐそばで車から降りて実物を眺める。巨大な建造物である。縦に立った壁の、地上でそれを支えている部分には、つまりL字状の下の部分には、三角形の支えが入れてあった。 

防波壁を見た後、いよいよ廃止措置中の12号の建屋の中に入る。放射線の管理区域になっているので、パンツ一枚だけ残し後はすべて着替えて、個人モニターも付けて建屋の中に入った。繋ぎを着て手袋を付けて帽子をかぶり、これだけで結構暑い。福島の事故現場ではさらに防護が厳重なのだからさらに暑いに違いない。漫画「イチエフ」を見るとそのことが良くわかる。 

二重扉を通り巨大な原子炉建屋に入ったが全体像がよくつかめない。1号機原子炉建屋と2号機原子炉建屋を結ぶちょうど真ん中に位置するところから2号機側に入ったが、これらふたつの建屋は長い廊下で結ばれていて、それを「松の廊下」と呼んでいると教えられる。2号機側を見せてもらう。複雑な配管もそのうちいずれすべて外されるのかと思うと、大工事かつ長期の行程に気が遠くなる。浜岡発電所の2号機はBWRの初期の型で、これは事故を起こした福島の原発と同じ型なので、構造がほとんど同じであり、福島で使うロボットをここ浜岡でテストして向こうに持って行った、ということも聞いた。 

タービン建屋では、ビニィールの大きなテントで囲った中にタービンを入れて表面汚染検査を行っていた。環境が一応汚れているという想定なので、それを避けるためにテントで囲いその中での汚染検査であった。外に出してもいいレベルかどうか検査して、あとは処置を待つだけらしい。タービン建屋は広く、そこは今はクレアランスレベルかどうかを確かめるための検査を待つ機器類が箱に入れられて検査を待つ、そのための空間であった。

廃止措置中のところに行くと、ああ、もう終わったのだという印象が強い。 

元来た通路を案内されるまま、気がついたら最初に入った「松の廊下」に付いていた。個人モニターの結果は被ばく量ゼロ。繋ぎを脱いで下着を取り、帽子も手袋もとる。これらはちゃんとした脱ぎ方があって、裏返しにしてそれぞれの入れ物に投入した(個人モニターが脱いだ後だったのか先だったのか良く覚えていない)。下着は汗で濡れていた。 

外に出て新鮮な空気を吸う。排気筒に足場を組んでフィルター付きベント配管を付ける工事が行われていた。再び車に乗って、40m高台のガスタービン発電機を見せてもらう。屋根の下に3つの発電機。ひとつは可搬型であった。高台には瓦礫撤去用の大型のブルトーザーも置いてあった。 

別棟の原子力研修センターを見せてもらう。ここには34号機用の運転シミュレータ室、5号機用の運転シミュレータ室、それられ加え、かつては12号機用の運転シミュレータ室であったところを改造した「失敗に学ぶ回廊」があった。 

2011年以来5年間動いていない原子炉を再開されたときに運手出来るようにと、シミュレータを使って運転訓練が行われている。実務経験から5年以上離れた人が教師役なので実体験の継承が大切だと説明を聞いた。それにひたすら訓練ばかりの若い人たちのモティベーション(=やる気)を維持するのも。10人補の人が訓練しているのを外から眺めることが出来る。覗く方が暗い場合は向こうからは見えないという。5号機シミュレータ室では、中で訓練を抜けている人たちの話す話の内容がマイクを伝わって外の見学者のいるところまで聞こえてきた。話しているのを聞かれるのは嫌なのでないかと思ったが、オープン(=公開性)ということで行われているのだろう。 

「失敗に学ぶ回廊」ではこれまでの事故(失敗事例)が、そのときの現物や漏れ医を使って展示されていた。さすがに実物の展示は迫力があった。こんなふうに壊れたのか、ここまでひどいことになるのか、と。在職中の事故体験をそのとき事故に遭遇した職員が後輩に伝えるメッセージは文書とビデオの両方であった(たしか、ビデオもあったと思う)。「失敗に学ぶ回廊」は、いわば浜岡発電所の技術史を示すコーナーであった。 

見学は1時から始まり4時半過ぎに終わった。見学終了後、原子力館の会議室にもどり、全体の質疑応答があった。原子力館をでたのは5時頃であった。 

ホテルに戻り、ビールのジョッキが3杯付いた夕食バイキングを食べ、8時過ぎには各自個室に入って寝た。



Author

早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


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