ロボット演劇『働く私』(作・演出:平田オリザ)が13日、おおい町の里山文化交流センター”ぶらっと”で上演された。昼の部は90余名の観客であった。とても面白かった。
http://www.seinendan.org/play/2015/03/4381
働くべく作られたロボットが働く気が失せてきて、それはなぜなのか分からないという。台所には行く気がしない・・。
ロボットを使っていた人間夫婦が夕焼けを見に行くが、私たちにはまだその美しさが分からないねと二つのロボットが言う。まだそこまで進化していないからと。
上演後のトークショーで、オリザさんは質問に答えて「音楽などは、ここ数十年くらいで人を本当に感動させるものをロボットが作られるようになる」という趣旨の発言をされていたが、なんとなく納得できないところがあるとすれば(ボランティアで会場係だったので、全体の雰囲気がそんな風だと感じたが)、良い音楽を作ろうとする”意志”のないものから作られたものに感動するのに抵抗があるからでないだろうか。努力がないとかなんとか、かってに機械的に出てきたのだろうとか。
意識があるのが親しい存在で、そうでないのはちょっと近づきがたい、意識があるとすることでこちらと同類であり相互に理解可能だとしている。そうでないと一生過ごすのはちょっと辛くなるのでないか。ペットは、その種類を問わずにそうなっているとオリザさんの発言もあった。そうなると、ペッとしてのロボットもそうなっていくのか。