8月14日、檀那寺の寶積寺(「ほうしゃくじ」を「ほうせぎち」、と呼んでいる)の方丈が朝早くから各家をまわって棚経を上げる。それをもらってから家中で墓に参る。お盆の毎年繰り返えしている行事である。
家の仏壇のお飾りは、前年の写真を見ながらいつも同じことをしているつもりだが、少しずつ変化しているかもしれない。仏壇の上に横に渡した竹に、八つ頭の茎、ホオズキ、ササゲを掛けてぶら下げる。お膳は写真にあるように三膳、まるでままごとのようにかわいい。
方丈はまだ長髪の大学生くらいの跡取りの息子を連れてまわってくる。親子の僧二人が棚経を上げる。息子はいわばバックコーラスのようなもので、読経の合間にときどき間の手のようなことを云う。僧職は世襲になっていて、はるか昔ゴータマシッダルタが出家して仏教が始まったとされる、その仏教となんとかけ離れたことかと、お盆の棚経をもらうときにいつも思う。托鉢だけで僧をしている人は非常にまれである。ここ名田庄にも生まれが寺でないのに、自ら出家して僧職についたひともいるので、ゴータマの精神が完全に失われたわけではないのだけれど。
午前8時過ぎ、花と線香とお菓子を持ってお墓まで歩いていく。3人の娘と息子が1人、そのうち2人に伴侶があり、孫2人。われわれ夫婦を合わせると全部で10人になる。すでにお参りを済ませた人たちと途中すれ違ってお盆の挨拶を交わす。墓地の入り口に六地蔵が並んでいて、まずそこに線香を供える。緩い坂道を登ると、我が家の墓がある。墓石は3つ、両親だけの墓、先祖代々の墓、幼くして死んだ子ども達の水子の墓。それぞれに花と線香をお菓子をたむける。
両親の墓石に二人の戒名が並んでいる。父は39歳でなくなった。母は91歳の誕生日の数ヶ月前になくなった。もう3年が経過した。先祖の墓石には過去帳にある戒名がすべて書かれている。水子の墓、わたしには弟と妹が4人いた。みんな一歳前後で死亡している。一人だけ誕生日をこえた子がいた。その子だけ“弟”だった感覚が残っている。両親の墓石の横にもうひとつ建てるスペースがあるので、そこがわれわれのところだと、子ども達に言っても真剣に受け取らない。
みんなでまたのらりくらりと家に戻る。午後はバーベキュウーだった。