2011年12月に発足した名田庄原子力基礎教室・311の会も27年度の最初の会合で31回を数えた。2015年4月20日 午後7時半から午後9時まで。会員9名のうち6名が参加しての話合いだった。50代から60代後半。女性2名。
以下がそのときの概要である。
原子力発電所の事故が現実的になった今、原子力防災計画に書かれている避難経路を実際にたどってわれわれの受け入れ先である伊丹市に一度行こうという意見がまずあった。出来たら想定されている受け入れ先の体育館の床に寝て一晩過ごしてみたい。それを実現させるには行政を介して受け入れ側との調整が必要になるが、多分一介の市民グループのために行政が動いてくれるとはないだろう。
福島の事故や津波の被害をいつも感覚的に覚えているために、実際の現場に行くことが必要でないだろうか。最近は災害地を見て回るツアーもあるのでそれに参加する方法もある。大阪や名古屋から出発するツアーもあるようなので、少し調べて参加できるメンバーで参加したらどうか。
廃炉はここ数10年のうちに必ずやってくる。大飯発電所に関していえば1号機と2号機は間違いなく廃炉である。しかし、われわれは廃炉の具体的な像を結ぶことができない。実際にどのような手順でどれくらいの費用をかけて、そして今あるあの発電所がどのような姿になって終わりを迎えるのか、どれも具体的な像が浮かばない。費用はどうなるのか。新たな原発を作ることが廃炉費用の捻出と不分離の関係にあるのでないか。
数10kmの範囲に複数個の原子力発電所がある。そこで福島のような事故が本当に起こるのだと思っていては一時も住んでいられない。どこか心の中で、あんなことは起こらないだろうと思って、そう信じて毎日を過ごしている。しかし、廃炉は確実にやってくる。
この地に安住して死ぬまでいたいと思っている。それだからこそ、廃炉の具体的な姿をつかんでおきたい。
(写真は放射線の観測局;福井県が44ヶ所、事業者が62ヶ所に設置している)