山崎ナオコーラの名前は、何かの週刊誌で文豪のお墓参りをするシリーズがあり、それで覚えた。小浜の図書館で見つけた本を3冊読んだのでその紹介である。たくさん出している作家なので、下記はその一部である。なお、シリーズは『文豪お墓まいり記』(文藝春秋、2019年2月)としてすでに出ていた。
1.『ボーイミーツガールの極端なもの』(イースト・プレス、2015年4月)
エピローグも含めていろんな「恋」の十の物語。同性、異性、片思い、年齢差など。どれもありだよ、と作者の声が聞こえてくる。
第一話 処女のおばあさん
第二話 野球選手の妻になりたい
第三話 誰にでもかんむりがある
第四話 恋人は松田聖子
第五話 「さようなら」を言ったことがない
第六話 山と薔薇の日々
第七話 付き添いがいないとテレビに出られないアイドル
第八話 ガールミーツガール
第九話 絶対的な恋なんてない
エピローグ
ひとつひとつの物語にそれぞれその物語を象徴するサボテンが写真付きで登場する。一見ばらばらの物語が並んでいるのかと思っていたら、それぞれ繋がっていた。血縁であったり、仕事のつながりであったり。いじめのこともあったが、こういうのを読むのは辛い。
2. 『反人生』(集英社、2015年8月)
四つの小説が入っているが全173ページのうち最初の「反人生」が100ページ、あと「T感覚」、「越境と逸脱」、「社会に出ない」の三つがある。(短いあとの三作は省略)
「反人生」;
荻原萩子五十五歳、夫と死別して一人で暮らしている。五十五年間の間に、「この国では、三度の大地震と、二度の戦争があった」とあり、2030年代前半の設定になっている。なぜ近未来にしたのか、最後まで分からなかった。
彼女の信条は「人生を作らないこと」である。「人生作りには、興味がない」が「むしろ世界を作りたい」。「外界があることを証明できるものは、頭の中に作れない」と呟いている。
「人生を作る」とは、生まれてそして死ぬ一生を想定して、その時間軸上で、その時々にやらなければならないことを設定して、それに対して努力する、そしてそれらが実現していく、そんなことなのだろう。「世界を作る」ほうにはそんな時間軸はなく、時間軸どころか居場所から作っていかなければならない、そんなことなのだろう。
萩子は夫が生きていた頃、お昼の12時過ぎ、一日おきに一緒に出て、横断歩道まで行って見送った。いつまでも手を振っていた。死後も同じことを繰り返している。習慣になっていることを止めることは出来ない。
「習慣というものは、続ければ続けるほど止めづらくなるという性質を持っている。習慣は、ときには自分の味方になるが、往々にして大きな敵になる。習慣となった行動にはストレスが伴わないので、簡単に行うことができる。(中略) それを止めると暮らしが破綻するのではないかという恐怖で、なかなか行動を変えられない。」
萩子は週3回「幻レストラン」にアルバイトとして出る。不自由はしない程度のお金はあるのだけど。そこに早蕨(さわらび)二十五歳がいて、一緒に働いている。早蕨は気が利いて客の要望がよく分かって働き者でテキパキと・・・。萩子は早蕨が大好きである。帯には「ときめきと憧れ」とあるが、恋しているのである。
萩子は早蕨に会うのを楽しみに「幻レストラン」に行く。二人で美術館に行ったり買い物したり。萩子はそれをデートという。
早蕨がある日萩子に言う。「松風くんと結婚することにした」。萩子はショックを受ける。結婚などしないと言っていたのでないの。なぜ、今になって。
松風くんを紹介するために三人で中華料理店に行く。料理の注文で三人はくい違いすれ違う。松風は「ぼくは人生を作るのです」と言う。
結婚式に招待されてスピーチを頼まれた萩子は(具体的に書いてないが)、スピーチで披露宴をめちゃくちゃにする。完全なおもてなしをしたかった早蕨は完璧に出来なかったことで「幻レストラン」ともう一つの勤務先も辞めて萩子から姿を消す。長いブランクの後、二人はもう一度会う。
小説の終わり間際から引用;
「ねえ、世界って本当にあるんじゃないか、っていう気が、この頃してきたの」
「サワラちゃんは、最初からずっと、世界があると思っていたのね。私は違ったわ。全員がそれぞれの頭の中に生まれて、そして頭の中で死ぬんだと思っていた」
「だけれど、最近になって急に、みんなで共有している世界があるんじゃないかって思えてきた。だけど、そう考えるとなお一層、頭の中が大事になってくるのよ」
3.『偽姉妹』(中央公論社、2018年6月)
『屋根だけの家』がある。三階建、壁がなくて螺旋階段が二階に伸びている。最上階の三階は天井が三角形。家を建てたのは宝くじで三億円があたった次女の正子(35歳)。「プライバシーのあまりない壁のない家」が欲しくて建てた。長女の衿子(42歳、公務員)、三女の園子(28歳、病院勤めの看護師)もいっしょに住んでいる。三人とも「ブス」とある。正子はシングルマザーで一歳になったばかりの由起夫がいる。離婚したが元夫を今でも嫌いではない。由起夫とも二ヶ月に一度会うようにしている。
長女の衿子は次女が離婚で心を痛めているだろうからと一緒に住むことにした。三女の園子は勤務地が近いので便利だから住まわせて貰っている。二人から正子は家賃を貰っている。衿子に子どもを見てもらう時は一時間三千円払っている。
ある日、正子の友達の百夜(ももよ)とあぐりが泊まりに来ることになった。二人ともとても美しい。百夜は正子がかつて勤めていたWeb制作会社の同僚で42歳、あぐりはウクレレサークルで一緒になり、今はウクレレサークルを辞めているが仲の良い友達で、28歳。タイトルから類推出来るように、百夜―正子―あぐりは、衿子―正子-園子の姉妹と同じ年齢構成で、この先偽姉妹をなすことになる。衿子と園子が家を出て、―これは正確に言うと正子が二人を追い出してそうなったー、百夜―正子―あぐりが『屋根だけの家』に住んでずっと暮らすことになる。
実の姉と妹には評判の良くなかった『屋根だけの家』は、百夜とあぐりには「すごいなあ」であったり、「素敵!」であったりする。三人はこの家で喫茶店を始めることになった。店名は「姉妹喫茶店」。数十年が経過して、物語の最後に、若い女の子が喫茶店の名前に興味を持って店に行くとおばあさん三人がかわらずコーヒーを淹れケーキを出していた。
仲の良いもの同士で暮らすのとそれを「偽姉妹」として暮らすのと、後者では社会的に有利なことがあるのを分かるが、「姉妹」とくくることでどんなふうに暮らしやすくなるのか、兄弟姉妹のいないわたしには分からない。