私の所属する福井山岳会は月一度の例会があり、前1ヶ月の山行報告を聞き、そのあと勉強会がある。勉強会のテーマは、たいていは、山に関すること、たとえば、新しい山の道具とか遭難のこととかいろいろ、が多いが、会員各位はそれぞれ山以外の得意の分野があり、土地買収のこととか山はどうしてできたのだとか、それはバラエティーに富んでいる。
2020年8月の勉強会の担当になり、何を話そうかを迷ったが、昔学生の頃地球科学の端くれのようなことことをしていたので、大風呂敷を広げて「宇宙、地球、生命の誕生」のタイトルを掲げた。
会宛てにメールで知らせたら、「なんと壮大なテーマですね。2時間でも終わらないのでは? 皆様、どんどん質問して早川さんを悩ませましょう。」と反応があり、これはいい加減なことはできないと、少し緊張した。
「宇宙、地球、生命の誕生」の最先端を正しく語るには、相対論や素粒子物理や宇宙論や、それこそ膨大な知識が必要だが、それはとても無理。さしあたって、「宇宙創世」や「地球 生命 誕生」等の検索で引っかかる新書版程度の一般的な読み物を選び、それにウイキペディの解説なども参考にして、なんとか1時間ほどなら話せそうな資料ができあがった。
そんないきさつを大学院の頃の友人にメールで知らせると、~実はこの頃、もう50年近く前に勉学をともにした学友・親友とメールのやりとりがあり、近況などを知らせあっている~、「マルチバース」というのがあるがと教えられ、そこで探したのが表題の本であった。
面白かった。実に巧妙というか、納得せざるをえないというか、巧みな本であった。
帯には「この宇宙は不自然なほどよくできている!その謎を解く鍵は「マルチバース」だった」とある。
最初、「不自然な」の意味が分からなかったが読み進めるうちに、「不自然な」がこの著者の言いたいことを端的に表しているキータームであることを知る。「不自然な」でくくって論じられて事柄を「不自然な」と感じるのが物理学者なのだということも分かってきた。
その例として、本文中の図から引用;
自然界の四つの力、つまり、重力、弱い力、電磁気力、強い力でこの世界はうまく成り立っているが、著者はこの四つの力のそれぞれの大きさが「不自然な」、だという。
以下にその大きさを引用;
(四つとも無次元なので、直接比較できる。)
確かに,四つの力の大きさは極端に違っている。著者にとってこれら四つの力の大きさが同じ程度であることが物理的に「自然な」ということで、上記の様な差があるのが「不自然な」ということらしい。
もしも重力が1程度だったらどうなるか。
極端な場合、原子が10個ほど集まっただけで、互いの重力により核融合まで起こり、とても安定的な世界は作り得ないことになる(p167)。
その他、「不自然な」例として、水の凝固点温度がゼロ℃であり、かつ最大密度を示す温度が4℃であることを挙げている。温度が下がるに従って密度は大きくなるのに,そのピークが4℃にあるのは「不自然」だが、そうなっていることで、海は底から徐々に凍るようなことが起こらず、それだからこそ「原始的生命を誕生させ全球に循環させるという水の重要な役割も」あり得たのだ、と(p188)。
その他、「不自然」だが、それがいかにに生命や人類にとって有利なことになっているか,多くの例が挙げられている。
この地球で生命があるのは、物理的にはとても「不自然」なことなので、そんなことがどうして起こっているのか、その理由を求める。
そこに登場するのがマルチバース。Universe に対してMultiverse。
シュレディンガーの猫の例を巨視的世界に拡張すると以下のようなことになる。
│世界〉=a│世界1〉+ b│世界2〉+ c│世界3〉+ d│世界4〉・・・・
これは多世界解釈的マルチバースを表す式。
このうち、どれか│世界i〉が実際の我々の世界で、これはとても確率が低い。しかも、そこでは物理定数が「不自然」に見えて、しかし、それ故、堅い確固として世界ができている。
その他は「自然な」物理的世界で、そこはわれわれの世界のように堅固ではない。そのような世界の方が確率的に大きく、全体的に「自然な」世界を形成している。
しかし、これら、我々の世界以外の世界は観測にかからない。観測にかかれば、それは我々の宇宙だから。因果関係が無いことが多世界解釈的マルチバースだから。
これが単なるお題目なら一種の宗教的表明になるが、シュレディンガー方程式から出てくるところが味噌。観測にかからないが数学的には矛盾は無く、「納得しなければならない」様になっている。
「選択効果」と「人間原理」の二つのことを学んだので、それについて以下に引用します。(p194~p195) マルチバースと、「選択効果」と「人間原理」の論理的な関係が、ここまでの説明では不明瞭かも知れませんが、どうか、本書に戻って確かめてください。
<以下引用>
これらの例を学んだ後ならば、「知的生命が存在している惑星は、数多くの偶然を経験している」という事実は、さほど不思議ではなくなります。「知的生命が存在する」という事象と、「その惑星が数多くの偶然を経験している」という事象は独立とは言えないからです。別の言い方をすれば、「知的生命が存在する」という条件を課すことで強い選択効果が導かれているというわけです。
とすれば、さらに、「知的生命が存在している宇宙では、物理定数は不自然な値の組み合わせをとっている」という結論も、不自然ではないのかもしれません。前車で述べたように、自然な値の組み合わせをとる宇宙では知的生命が誕生しないとすれば、「知的生命が存在する」という条件を満たす宇宙は選択効果のために、不自然なものしか選ばれないためです。
このように、人間の存在と宇宙の性質の問に成り立つ相関を選択効果で解釈しようとする考え方は「人間原理」と呼ばれています。その名前の妥当性や、果たしてそれが何をどこまで説明できるのかは別として、根底となる選択効果の存在そのものは認めるべきです。
<引用終わり>
最後に著者の基本的な信念を引用します。(p213)
・この世界に存在する森羅万象、さらには宇宙・世界そのものまでもが、例外なく物理法則にしたがっでいる。
・物理法則に矛盾しない限り、いくら可能性が低いと思われる現象であろうと、この広い宇宙のどこかで必ず実現している。
(完)
『不自然な宇宙 -宇宙はひとつだけなのか?』
また、難しい本!
コメントするのも難しい。
このホームページの文章だけではなんとも理解しがたいので
図書館から『不自然な宇宙 -宇宙はひとつだけなのか?』を借りて目を通してみた。
斜め読みどころか、目を通すだけ。
ホームページに書かれたのはこの本の後半のまとめで、よくぞまとめられた、やはり理系の早川だ。
四つの数式、
重力は次元(?)が異なるような気がする。
数式、所詮は人間は自然を解釈するのに都合がよいように考え出したもの。
更に新しい物理式を提案しようと研究者は励んでいるのだろう。
宇宙の超マクロの世界を素粒子の超ミクロの世界から論ずる、不思議を感じるが、この世界の研究の魅力なのだろう。
ガモフも一部紹介されている、学生の頃ガモフ全集が書店の棚に並んでいた。
宇宙が膨張しているのはそのころ知ったような気がする。
プランクの定数、なじみはあるはずだが、定数がどのような実験で決定したのか、それを知っていれば更になじみの定数といえただろうに。
シュレディンガーの波動方程式も絶対的なものではない、とどこかで読んだ記憶がある。
また、改めて朝永振一郎の光子の裁判を読んでみた。(学生の頃購入し捨てずに残っている、奇跡?)。
やはり、光が粒子であり波であることが納得し難いところがある。
貴兄は新しいもの新しいものと読んで行くが私は古いもの古いものへと行ってる気がする。
コンピュータの世界で開発が進められている量子コンピューター、その解りやすい解説書があれば、電子も光子も波であり粒子であることが納得できそうな気がしている。
大学時代、授業はシュレディンガーの波動方程式から始めるので、先生方は波動方程式が解けるのかと思い、自分はこの世界は無理だと考えたものだ。
「シュレディンガー波動方程式の解き方」の題の本が出版された時、一寸読んでみたいと思ったが、当時は工業化学の仕事中で思っただけだった。
今、仕事を辞めてTVを観ることが多い。時たま三百名山を登り続ける番組を観る。スタッフ、カメラマンに、登山道を守っている地元山岳会の苦労に思いが及ぶ。
全く遅ればせのコメント、失礼!
いつも丁重に読んでくれてありがとう。
9月21日、22日と山岳会の仲間(60代後半の男女2名と70代前半の男)と近くの山に連チャンで行っていて返信が遅れた。ごめん。
初日は14km、7時間、上ったり下りたり。二日目はその半分ほど。
あの本は実に巧妙に書かれていて、例えば、別の宇宙があるかどうか、それは原理的に観測にかからないという。別の宇宙が見つかれば、それはこの宇宙と「因果関係がある」(本にはそう書いてあった)ので、「別の」宇宙で無くて、この宇宙になるという。
それならなぜそんな想定をするのか。
それはひとえに、「不自然な自然」を物理的に納得できる世界として理解したいため、そんなふうに読んだ。物理をやっている人の心情に触れた感じだった。
こちらは、地球や宇宙の一生より、いま、この世にいるこの我が身の一生の方がはるかに気になり、関心があり、それこそ、生まれてきて死ぬことを100%納得できるようになりたい一心でいろいろ読んでいるつもり。
自然科学のことに戻れば、大学の時、物理と数学が全く分からなかった。何を学んだのか、何も学ばなかった、全くゼロだった、そんな印象を持っている。これは教える側が悪かったのだと、といまでも思うが、はたしてそうだったのか。しかし。山田先生の授業は「見れば分かる」ばかりだったからね。化学の方は学んだことは今でも残っているよ。
村上龍『MISSING 失われているもの』は、読んでいて非常に不思議な気がする。久しぶりに、本の世界の方が実在感のある世界である経験をしている。
『不自然な宇宙 -宇宙はひとつだけなのか?』について
気なることがあって、それは、
第2章 宇宙に果てはあるのか?宇宙に始まりはあるのか?
2-2 世界の階層と安定性p66
レベル1マルチバースは、レベル1ユニバースの1つ上の階層に位置する・・・ 銀河団、銀河、星団、恒星、惑星、衛星/会長、社長、専務・・・平社員といった階層家あるはずです・・・
私は、世界があ安定するためには、ある種の階層構造の存在が不可欠なのではないかと考えています。p67-69
階級社会、格差社会を肯定する危うさがあると思います。危険でさえあると思います。
ところで村上龍を読んでいたような気がするのですが?
いつもありがとう。
指摘されたところは確かにそういう危険性があると思います。ただ、微妙な事もあるように思うので、-例えば、小生、決して上に立ちたくない、誰か気に入った人のサポートはしたいが、というようなこと、先の文脈とずれるかも知れないけれど-、次回の同窓会の時に話をした。早くコロナ終息してほしい。
村上龍はこれまで『半島を出よ』と『オールドテロリスト』を読んでいて、それはそれで面白かったのだが、『MISSING 失われているもの』(新潮社、2020年3月)をたまたま図書館で見つけ、これが前提の二書と違って面白く、俄然これまでのものを読み返そうと集中的に小説とエッセイを読んだ。古い小説(『55歳からのハローライフ』(幻冬舎、2012年12月)も良かったし、エッセイは正直で差別意識皆無で心地よかった。