昭和53年、今から42年前、福井山岳会は西は京都府との県境から東は石川県との県境まで、すべての県境尾根を歩く事業を立ち上げ、2年と4ヶ月で完了した。猛烈な藪を漕ぎ、道なき道をすべて踏破した。このときの記録を『県境をゆく』(福井山岳会編、1980年11月)として出版した。いま、サイト「日本の古本屋」で『県境をゆく』を検索すると、2,540円の値が付いている。
今年は山岳会の創立80周年にあたり、「先人を偲んでアナログで県境をゆこう」と題し、県境尾根の一部をむかしのまま、GPSなどの機器を用いず紙の地図と磁石だけで歩くことになった。
2020年7月5日;
JR高浜駅集合7時半。少し早く着いた。すぐに三方からN田さん、福井から二台で、K尾さん、M永さん、M田さん、Y田さん(f)、T田さん、M村さん、A木さんの7名。今日は福井山岳会80周年記念事業「先人を偲んでアナログで県境をゆく」の第1回「塩汲峠から正面崎」の日である。各自どちらから行くか希望を聞き、班分けをする。塩汲峠班は、N田、T田、M永、M村の4名、正面崎班は、H、M田、Y田、A木、K尾である。
4台の車で塩汲峠へ。ここにN田、T田の車を止める。彼らは、峠のすぐそこまで来ている県境尾根の藪のすごさにひるんでいた。あとで聞いたら比較的薄いところから突入したらしい。
K尾、Hの2台の車で上瀬に。H車を下山予定地の宮尾に止める。K尾車に乗って上瀬に。上瀬では地元の人たちによる草刈りの共同作業が行われていた。「正面崎から尾根に取り付いて尾根歩きをする」と説明すると、「正面崎まで行くのか、無理だ、事故など起こさないように」など、少々迷惑そうだった。集落から尾根に続く道があるからそこから行け、といわれたが、曖昧に返事して正面崎を目指す。
お宮さんの横から下りて海岸沿いにわずかに残っている、それでも海から5-6mある道に入る。すぐに獣害ネットにぶち当たる。8時半。けっこう厳重な戸締まりを何とかあけて、通過したあとは同じ様に閉めて進む。
これを行くより海岸に降りた方が良いと青木さんの意見で海まで下りる。しばらくそのまま行くが、その先が険しくなっていてまた元の道みたいなところに戻る。
昭和53年、今から42年前、福井山岳会の朝日さんは「県境縦走」の最西端の始点として、ここ正面崎に来て、海岸まで下り、そこで海に靴を浸けて再び崖を登っている。
われわれもそれを再現しようとやってきたのである。そのときの記録を見ると上瀬から15分で着いたとあるので、ちょうど15分だし、ここから下りようと、A木、K尾、Y田の3名が木に捕まりながら急な斜面を下りて行った。HとM田は下を覗き、危険を感じ上で待つことになった。
彼らの往復時間は20分くらいだったか。戻ってきた。途中ロープを使ったらしい。それを聞いて、行かなくてよかったと改めて感じた。もうそのような行為は避けた方が良い、と下りなかったことに納得する。K尾さんは、本日のクライマックスだった!と叫んでいた。
標高数十メートルの正面崎先端からまず253mピークまでの登りが始まる。植生が暖かい地方のそれで広葉樹が多い。これがかなりの急傾斜,しかもどろどろで滑り、くたびれた。253mを越えたあとはゆるやかな尾根が続き、小さなピークを過ぎて下りた鞍部が、上瀬に下る道との出会いであった。10時30分だった。まだ全体行程の三分の一ほど。
このあと、徐々に上り勾配、無線を入れて塩汲峠からの班の位置を訊ねる。合流予定地点の大山(488.5m、二等三角点)には同じ頃に着けそうである。427mピークについてあとは大山まで楽な登りだった。大山着12時10分。「着いたよ!」と無線を入れると、塩汲峠班の第一声は「参った!」、残念至極の声だった。
程なく、10分もしないうちに彼らも頂上にやってきた。暑い握手を交わす。
M永さんは「今日は皆さまにゆで卵を持ってきました」と、途中のゴルフ場で拾ってきた小さなボールを正面崎班の皆に配ってくれた。全員の集合記念撮影をする。
昼食後、下山ルートの議論が始まる。最初の予定では宮尾集落に下りることになっていたが、そのために車も止めてあるが、余り楽な尾根がなさそうだから、上瀬まで引き返そうとなり、正面崎班に取っては来た道になるが、塩汲峠班には半島部の縦走になるので、みんな同意して下山を開始する。1時前だった。
今日の天気予報は午後から降る、だったのに、降るどころか青空までのぞくようになる。暑くないし、木々の間にはガスもかかっているし、言うことなしである。
来るときは全体的に上り勾配だったので下りは楽だ。先頭は若いT田・N田組。二人は紙の地図と磁石でルートファインディングをして進む。途中ほんの一カ所だけ県境尾根からずれたがすぐに修整し元の尾根に戻る。上瀬に下りる道との出会い14時。ここまであっという間だった。朝、教えられた道がこれかと納得して下る。
下の集落14時半。
もっと簡単に終わると思っていたがけっこう厳しく充実した山行になった。
朝分かれた塩汲峠に全員合流。ここで持ってきたGPS のデータを初めて見る。どれくらい県境尾根と外れて歩いたか確かめるためである。もう真上というくらい地図上の尾根をしっかり歩いていた。
(上記GPSデータはN田さん提供)
K尾さんが我々正面崎班のトレースを見せてくれる。
なんと。正面崎に下りていなかった。少し手前で東の海岸に下りていた。こんなショックがあろうか。がっくりくる。また、いつか、若い者に行ってもらおうか、誰かが言っていたがどうなることか。本当にショックだった。
早川さん本当に素晴らしい企画をありがとうございます。
残り7つもできるだけ参加して当時の先人の苦労や偉大さをしのび、これからの我々の方向性についても考えてみたいと思っています。
企画が認められて嬉しいです。「地図と磁石とで」は山岳会の基本だと思っていますが、GPS世代にはなかなか通じないのでないかと。残り七つ、がんばりましょう。