礼那(れいな、14歳)は、母、木坂理生那(きさかりおな)、父、潤(うるう)、弟、譲(ゆずる)の4人でアメリカに住んでいる。父親の仕事でこちらに移ってきた。理生那の兄の三浦新太郎の子、逸佳(いつか、17歳)は日本での学校生活がうまく行かず、従姉妹の礼那のところにやっかいになっている。二人は「れいな」、「いつかちゃん」と互いに呼び合っている。
礼那の家に厄介になっている逸佳は礼那と二人だけでアメリカの旅に出ようと提案する。礼那はもちろん承諾する。お金は逸佳がこちらの大学で学ぶために持ってきた親のクレジットカードである。二人は旅を始めるにつけていくつかの約束をする。一つ、「今後、この旅のあいだにあった出来事は、永遠に二人だけの秘密にする」。二つ、「居場所は連絡しないが時々電話をして元気であることを知らせる」など。
途中でクレジットカードを止められて金に困った二人は年上の逸佳が21歳と偽って働くことでなんとか旅に必要な資金を蓄えることができ、二人は旅を続ける。この事件の前に出逢った人、このあとで出逢う人。アメリカの大きな都市や田舎の小さな都市の様子、どれもその場にいるみたいで一緒に旅している気分になる。(あらすじを追って行っても面白くはないし、そんなものはネットで検索すれば出てくるので書かなくてもOKだろう。)
アメリカの都市がいろいろでてくる。そこが余りにもフレンドリーなのでちょっといやになったり、それが嬉しかったり、大都市に帰ってきてやっぱりこの方が良いと思ったり、逸佳より礼那のほうが大人びているときがあったり。二人の行動や言葉や気持ちはきっとこれくらいの年頃の女の子ならこんなのだろうと、思えることばかりだった。
472ページの大作をゆっくり楽しんで読んだ。応援するような気分で読み進めていた。読み終わるのがもったいなく、時々休みながら。二人の旅は文字通りロードノベルだった。下に引用した対談では、作者自身が二人の保護者みたいな気分だったと言っているが、まさにそれだった。
「すばる」11月号で江國香織と柴田元幸の対談、「私たちが見たアメリカと、あの日の自分」を読んで、この小説の面白さの秘密を知った。作者は子供の頃をよく覚えていると言う。作中の子供がほんとにその年の子供らしいのは作者のそんなところにあるのだろう。14歳の子は17歳の子より“大人”と作者は言うが、よく納得できる。
江國香織が手書きで小説を書いていると、この対談にあった。びっくりした。あれだけの量のものを手書きだとは、少しずつであるにしても、やはりすごい。メールは使うのでパソコンと無縁でないとのことだが、江國はメールと手書きとは違うと言っている。柴田元幸も翻訳の時は手書きだと。こちらもびっくりした。
一流の作家からよく聞くことに、作中の人物の動きは作者が制御できるものではない、彼らが動くのに付いていくしかないと。村上春樹もそう言っていたし、上の対談でも江國香織はそう言っている。読むだけの者にはその感覚が掴めないが、もし勝手に物語を作っていくとしたら、きっと読んでいる者にはその作為性が分かるのでないかと思う。