トコ、シロ、ポコ、もういない我が家のネコたち(その一)。


母はずっと離れに住んでいた。母屋に来るより離れでネコと一緒の方がいいと言ってなくなるまでそうしていた。2012年2月11日(土)の早朝、母は前日の夕方入った病院の病室で、最後はモルヒネや睡眠薬の入った点滴を受け静かに息を引き取った。なくなったら一緒にいた猫四匹の面倒を見てくれと言われていたので、ずっとそうしてきたが、四匹(クウ、グレイ、トコ、カーコ)だった猫が今はカーコ一匹になった。 

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 (出窓で寝るシロ)
クウは事故で亡くなった。グレイのことはすでに書いた。トコがなくなり、離れにはカーコだけまだ元気でいる(2019年2月)。また、家では、ふさふさの毛だったポコが2019年2月3日になくなった。ポコの死を機に、トコと、家にいたシロ、ポコのことを書きたい。 

1.トコ

2017年6月16日、午前6時過ぎ離れに猫を見に行く。いつもなら玄関の戸を開けると2匹が飛び出してくるのに今朝は1匹しか出てこない。昨日から心配だった。すぐに部屋に入って探すと、押し入れの下においてあった猫用の温かい底のあるふあふあのかごに入って、縁に手を掛けて、手足をゆっくり伸のばし、穏やかで、眠るようにしてトコは死んでいた。 

トコは両方の目は、そこから小さな流れが2本出ているような、ただれた症状がここ2週間ほど続いていて、娘がそれを拭いてやってくれていた。抱き上げるとふわっと浮くような軽さだった。離れから出て、よちよちと頼りない足でわれわれが住んでいるところまでやってくる。目が合うと、「にゃー」と鳴いて何かを欲しそうにする。そうか、餌なのかと、離れに餌をやりに急ぐと、後からよたよたと付いてきた。 

昨日のこと;庭の南天の木の下で寝たり、縁の下の陰で寝たり、郵便ポストの下のコンクリートの上で寝たり、横になってばかりだった。「寝ていたけれど、目は開いていたよ」と後から妻から聞いた。水も飲んだし、魚を炊いた汁もすすっていた。夕方外で寝ていたので、抱き上げて離れの玄関にそっと置いた。トコは短い廊下を歩いて奥の部屋に入っていった。動いていたのを見たのはそれが最後だった。 

小さな段ボール箱にトコはおさまった。猫が死ぬといつも埋める杉林のところに穴を掘って埋めた。小さな石を載せて、花を3輪ほど飾り、トコは土の中に入った。 

母が住んでいた離れは猫だけになり、その猫も1匹だけになった。1匹だけになったカーコはどう思っているのか。猫は考えることはしないのだろうか。 

2.シロ

シロが我が家にやってきたのは2007年頃だったか。外で盛んにケンカする猫がいてそれがシロだった。当時我が家には真っ白のペコと称する子猫がいて、それがひとりだけなので寂しいだろうと外でケンカしているシロを家に入れたのが、シロが住み着くようになったきっかけである(ペコは七ヶ月で急死した。心臓の病気だったのでないか)。あとで書くポコはペコがなくなって数ヶ月後にやってきた。同じように真っ白で長いふさふさの毛をまとって。 

シロの目は左右で色が違っていた。片方が青色、もう片方が淡いピンクであった。夜になると特にそれがよくわかった。あとで調べてわかったのだが、このような目を「オッドアイ」といい、白猫に多く,しかも耳に障害を持つことが多いという。シロの様子を見た近所の人が「この猫耳が聞こえていないのでない?」と言っていたが、それは本当のことであった。 

我が家に来るまえ、自分の帰るうちがわからなくなってケンカばかりしていたのか。それも完全な五感が備わった身でもないのに。あるいは、それ故、ケンカばかりしていたのか。 

シロは見知らぬ人が近寄っても逃げなかった。猫用トイレにも入った。ああ、これは飼い猫だったのだと、家のみんなはそのとき思った。

我が家に住むようになってしばらくは、なきごえをあげなかったように記憶している。それが突然、喉に詰まっていた何かがとれたごとく、ぎゃーに近いような声を出した。その声が徐々に優しい声に変わり、普通になくようになった。シロは肉付きがよく、ゆったりとした動きで、抱くとずっしりと重かった。抱き甲斐があった。困ったことはどこでも搔くことであった。畳を搔いた。柱を搔いた。ホームセンターから猫専用の爪とぎを買ってきたが全く役に立たなかった。せっせと畳を搔いた。畳の縁はささくれだったようにボロボロになった。 

シロとポコは同じ家にいて仲良しだった。シロは大きくポコは小さかったので、二匹がくっついてなめ合うときは、シロは上からポコの頭や顔をなめた。ポコは下からシロの首の下あたりをなめていた。 

Hによくなついていた。これまでの猫の中で一番であったように思う。そのようなシロがなくなる一ヶ月前くらいのことを日記から拾いながら書く。 

2016年の3月の初めころから、シロの鼻水が止まらなくなり鼻血も出るようになった。小浜の動物病院に診せに行くと,肥満体なのでこのままでは心筋梗塞や心不全で最後にとても苦しんで死ぬ可能性がある、などと恐ろしいことを言われた(そんなことはなかった、最後まで)。肥満だから何かほしがってもやるなと。 

3月の下旬になり、二日ほど何も食べない日が続き心配したが、3月24日「今朝元気にたべてみんなほっとした」と日記に書いている。 

しかし、3月の末になると,シロはほとんど何も食べないようになった。鼻もきかなくなる。鼻がきかないので食べてもいいかどうかわからないので食べないのだろうか、何か食べてほしい、空腹でも食べられないのだろうかと、思いは同じところをぐるぐる回る。  

2016年4月1日(金)、シロがほとんど何も食べないので、夕方娘とまた同じ病院に連れて行った。ともかく一晩入院となった。奥歯がないといわれた。病院に入るのは一人にしておかれるので、猫にとっては恐怖のことである、入院中に急変することもあるとも言われた。明日の夕方連れに行ってもう長くないのなら連れて帰ろうと決心する。 

翌日の夕方、病院に連れて帰るために行くと、奥の方のケージの中にいたシロが私たちを見つけてすぐに出してくれと言うようになきつづけた。昨晩、電話で猫エイズに感染しているので薬が効かなかったのだという説明があったが、シロは入院していた今朝、普通のペットフードを食べたと医師から聞き、ほっとしたが、連れて帰ったらほとんど何も食べない。 

このときたまたま帰ってきて家にいた孫がスープ状の食べ物をやったら食べたというので、私は飛び上がらんばかりに喜んだ。その日(4月2日)、同じものをやったがシロは全く食べなかった。何か欲しそうになく声を聞くと、本当に辛くなる。4月4日の日記には「シロは食欲が出てきて、鼻はきかないだろうに、なんとかいろいろ食べるようになった。本当によかった。」と。 

4月12日までシロに関する記載はなく、13日には下記のように書いてある。

「シロがすっかり元気がなくなり、もう長くないような気がする。猫はかわいそう。何も言えない、何も訊けない。」 

2016年4月14日(木);シロは口の周りや鼻の周りに色の付いた粘液を出している。外の洗濯機の下に置いてあった野菜を運ぶ水色の入れ物にポコがシロにくっつくようにしている。二匹の姿を見て妻が涙ぐんでいた。シロとポコを写真に撮る。水もよく飲めない、ほとんど何も食べない。夜、シロが外に出たがっている。妻は「出したらもう帰ってこない!」という。シロのことを考えると心がつぶれそうになる。 

2016年4月15日(金);寝る前シロは2階に行きたいとなくので2階に上げた。今朝の明け方3時頃、娘のいる2階にあがっていたシロがどうしても出たがっているというので、夜なら敵もいないだろうと戸を開けると飛ぶようにして出ていった。朝、あれは家族みんなに会ってからもうどこかに死ぬために行ったのだと、半分泣きながら話していたら帰ってきた。 

四足全部先端が濡れていて汚れていて、どこかで水を飲んだのが分かった。帰ってきてほっとした。食べるもの鼻にも口にしない。何も食べられない。しばらくしてすぐに外に出た。もう帰ってこないかと、また思ったがそれでも帰ってきた。 

午後、妻が叫ぶので何かと思ったら、離れのそばを流れている側溝の暗渠の中に入ったという。堤防土手の川側にこの暗渠の出口があるので、Hは雑草がいっぱいで歩きにくい河原をかき分けてかき分け歩き、出口を見に行く。重たいシャッターが下りている。 

暗渠に大量の水が流れた場合、水の力で開く仕掛けになっているのだが、その重いシャッターの下に泥がたまっているので、開けることができない。妻と二人で鍬やスコップを使ってやっと空間を作り、そこに太い木とブッロクを入れて出口を作った。シロは明かりが見えたのか、すぐ近くまで来るが暗渠からは出てこない。妻が暗渠に入って連れて出すか追い出すと言うので、離れの方から背丈ほどある暗渠にヘルメットとカッパを着けて入った。 

シロは通常の衣装でない人が来て驚いたのだろう、川側に来ず、引き返して地上に出た。お昼前1時間ほどの大騒動であった。しばらく家にいたが、また午後外に出て、いま5時だがまだ帰ってきていない。 

シロは結局夕飯時の6時過ぎに帰ってきた。「ここは自分の家だと思っているのだね」と妻と話す。家の水をどうしても飲まないので、風呂の蓋にちょろちょろと水を流し、そこに抱いて連れて行ったら、ほんの少し口を付けてなめるようにして水を摂取した。そのまま、風呂の窓の桟のところにうずくまっていた。そのあと、シロはまた外に出て行った。 

2016年4月16日(土);朝、7時45分家を出る。家を出るときはシロはまだ帰っていなかった。もう帰ってこないのかと思った。用事を終えて帰宅したのが3時過ぎ。シロのことを訊くと、妻が「お昼前、11時ごろ帰ってきた!」。家の中にいた。家の中では何も食べず、水も飲まず、見ていて本当に辛い。夜出て行くのはどこか水を飲むところがあるのだろうと、話しているが、よく分からない。今夜も出ていくのか。もう、元気がない。 

2016年4月17日(日);シロは朝になるとふらふらともうほとんど元気がないが家に帰ってくる。夜の間、どこにいるのだろう。何も食べず、多分水もほんのちょっと口にするくらいだとおもうが、帰ってくる。今日も家の周りにいた。水の通った水路に行きそうになったと、妻が抱えて帰ってきた。そのあと、日陰や、倉と小屋の間の風通しのいいところや、足にほとんど力がない状態で、移動していた。夕方家の中に入った。 

2016年4月18日(月);シロが早朝未明になくなった。柱時計の下だった。3時半ごろ起きた娘が気がついた。昨晩はもう今晩が最後だろうと妻と娘は12時前まで起きてそばにいた。最後の夜は外に出ようとしなかった。シロはHのそばにいつの間にか来てゴロッと横になった。どたっ、という感じでくっついてきた。思い出しているときりがない。 

いつも猫を埋葬するお不動さんの下の我が家の地面に穴を掘って段ボールに入れたシロを埋めた。小さな石を載せた。水仙お花を添えて線香を一本立てた。もう生きて動く姿を見ることはできない。 

シロがなくなってからバイクで畑仕事に行くルートをいつもの三重橋経由を変更してお不動さん経由にする。シロの墓のすぐそばを通るので「シロ、おはよう」と言って通り過ぎる。死んだ直後の、段ボールの中の姿を思い浮かべて、土の中のシロに声をかける。



Author

早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


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