トコ、シロ、ポコ、もういない我が家のネコたち(その二)


3.ポコの死

ポコが死んだ。2019年2月3日、午前7時過ぎだった。動脈血栓塞栓症。

我が家にやってきてまだ7年しかたっていない。短い一生だった。体中、真っ白の長い毛で覆われていた。長い尻尾を立てるとそれは見事で、なにか高級なちゃんっとした名前のある猫のように見えて、家に来るひとからもそんな風な質問を受けることがあったが、ごく近所のたくさん猫を産む家から半分逃げるようにしてやってきた野良猫であった。最初に来たとき、ここからもう動かないぞという強い意思を示し居着いてしまった。

長い毛の猫はそれが木の子枝などに絡んでそこから抜け出せなくなり死ぬこともあると聞いたが、そんなこともなく,最後の病気になるまではごくごく普通に健康であった。玄関から入ってくるとき、これまでいた猫のどれもそうしたが、前足で戸を開けて入ってくる。それがポコの場合、誰か人が来たのかと思うくらい大きな音がするのである。ガラガラと音がして,戸が三分の一くらい開いている。子どもなから通れるほどの幅に戸が開けられている。

何か要求するときは、聞こえるか聞こえないほどの声でなくのだが、それがしっかりと聞こえ,小さな声である分、とても気になり,何かをやらざるを得なくなる。先に書いたシロとはころころとまとわりついて遊んでいた。

2019年1月25日(金);
ポコが今朝3時頃、盛んにそれも弱々しくなくので、妻が起きて見ると、後ろ足が立てない状態で引きずるようにしていた。猫用トイレでなんとかおしっこをさせたらこたつの中で寝た。

足でもけがをしたのかと10時過ぎ「おちたに動物病院」へ連れて行く。動脈血栓塞栓症であると言われた。血栓が後ろ足の付け根のV字型に分かれているところに詰まったのだろう、両脚が普通より冷たい、体温は34度だった。血栓はほかにもあると考えられるので、このような状態だともう10日ほどしか命がないかもしれない、ともかく薬で溶かしてみると。入院となった。入院中に死ぬかもしれないのでそのことについてはなにも言わないよう、との趣旨の宣言文にサインした。午後3時過ぎHと娘と妻とで病院にポコを見に行く。

2019年1月26日(土);
娘と午前、ポコを見に行く。疲れたようにして、ケージの中にいた。前のシロのように、泣き叫んで家に帰りたい、という風ではなかった。点滴を受けてじっとしていた。両足は少し暖かくなっていたようで、おちたに先生の話では、血栓が少し溶けたのでないかと言うことだった。明日の日曜日とあさっての月曜日も入院して看てもらうことにした。 

夜中の午前零時半、「おちたに動物病院」から娘のところに電話があり、点滴がもうできないから(非常に嫌がって向かってくるほど)、病院としてできることはないので、というようなことで、3人でポコを引き取りに行く。娘の運転で病院まで走る。 

ケージの中でじっとしていた。おちたに先生から症状を聞く。点滴で血栓を溶かすのはうまくいかなかったみたいで、足はまだ冷たく尻尾も持ち上げて放すとそのままどさっと落ちてくる。不整脈もあり、はっきりとは言われないが、もう長くないということか思った。おちたに先生はポコの白い長い毛を櫛で丁寧にといてくれた。かごに入れて連れて帰った。午前2時頃だった。家に帰ったら、力の入らない足を引きずってこたつに入った。妻が一晩中一緒の部屋にいた。ストーブの番とポコの様子を見るため。朝までほとんど寝なかったみたい。 

2019年1月28日(月);
今、夕方の5時過ぎだがポコはこたつの中にいる。長女が心配して島根県から帰ってきてくれた。ポコは水も飲まない。何も食べない。口のところに水を持って行ってもなめない。 

2019年1月29日(火);
ポコに急変はないが自分で水も飲まないし食べもしない。娘がおちたに先生にスポイドでやるやり方を聞いて少しだけ飲ました。 

2019年1月30日(水);
快晴の一日だった。Hが両耳の下を持ち娘がポコの口の横からスポイドで水を入れると、それだけはなめる。水の摂取はそれだけ。おしっこをしたいときは前足だけでこぐようにしてこたつから出てきてトイレの砂場に入る。

今朝は砂場の手前でおしっこが漏れたみたい。後ろ足は全く効かないのに必ずこたつから出てきて砂場まで行く。砂場に入るが持ち上げて後ろ足を広げてやらないとおしっこができない。一日3,4回。妻はそれをするために夜中寝たり起きたり。昼間もそんな状態。後ろ足の片方の肉球が薄黒くなってきた。もう片方はまだ肌色をしている。 

2019年1月31日(木);
昨夜は、妻が一晩中ポコについていた。徹夜でそばにいた。まったく寝なかったみたい。Hは6時前から交代して見守っていた。かけていた毛布やコタツから前足だけでこぐようにして出てくると、そのあと何かしてやらなければならない。夕方、自分から水のところに行って、自ら飲んだ。食べるものは口にしない。毛布で包んでやっていると、そこから前足だけで出てきて、畳の上に体を投げ出している。暑いのか、どうなのか、それも心配でまた軽く毛布をかける。今夜はHが徹夜する。

2019年2月1日(金);
昨晩はほとんど寝られなかった。ずっとポコを見ていた。娘が11時頃まで一緒にいてくれたがそれ以降は一人で見ていた。今に息を引き取ると思えるほどの状態になり、ああもう楽になるのだと思ったが、そうではなかった。 

午後、前足だけでポコは寝ているコタツの中の間からはいだし外に出たがった。妻が抱えて玄関まで行くと腕から逃げだそうとものすごい力を出した。爪を立て怖いくらいだったと言っていた。外の洗濯機の下にしばらくいて(寒さの中毛布に包まれて)、外を見回していた。4,5分で家のなかに入れた。 

2019年2月2日(土);
おちたに先生の往診を受ける。先生が来られてポコは自分で薄い皿に入った水をなめた。首から水を入れる点滴の方法を教えてもらい、娘は明日から自分でやるという。先生は延命処置ですといわれた。元には戻らないと思うが(足が以前のように動くようになることは決してないが),それでもやってやりたい。 

2019年2月3日(日);
今朝ポコがなくなった。昨晩、妻と娘がずっと見ていて(朝の3時頃まで)、ずっと苦しんでいたと聞いた。Hが起きたのは7時前、まだかすかに息をしていたが,最後に口からかなりの液体を吐き出し、しばらくしたら息を引き取った。先週の金曜日に病院で診てもらった時の診断は動脈血栓塞栓症で、そのとき先生は10日くらいだといわれたが、その通りになった。 

Hがお不動さんの横の我が家の杉林の斜面に穴を掘って,3人で埋めた。シロの横と思われるところに穴を掘った。あそこには我が家の猫がたくさん眠っている。段ボールに入れて家から運んでいくとき、ずっしりと重かった。まだ七歳くらいの,それほど身体的に衰弱していないポコだったので、重たかった。ポコがなくなり、我が家は3人だけになった。しかし、もう猫を飼うことはないだろう。夕方から雨になった。 

母が亡くなったとき、アジアの友人が「お母さんはもう何の苦しみもつらいこともないところに行かれたのだ」と言ってくれた。そのことを思い出した。

シロとポコ



Author

早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


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