カバー写真;真っ暗な夜空に稜線から立ち上がるように帯状に縦に広がる星の河がある。帯をとると左下に三角の小さなテント、中は明るい。著者(N)のFacebookには「The little yellow tent was my “home” while traveling in Ladakh.」とあった。カバーをとる。そこにも、また、表にも裏にも漆黒の夜空の星が点々と輝いている。25日間の旅と、その間に思い出され語られる30数年の物語は、Nの撮った空の星に包まれて抱かれてそこにある。
Nは小説を書いていたことがあった。習作として2編を。それは、「僕」を主人公にするもうひとつのどうしても書きたい「ある小説」のためにしていたことだったが、その「ある小説」は、それを書かなければならない、それを読んでもらわなければならない、そのとうの人が亡くなることで、”あっけなく終わりを迎えることになった。小説を書く必要がなくなってしまったのだ”。
Nは誰もいない山中を黙々と歩きマイベストの星空を見るためだけにインドの旅に出る。いつもそうするようにひとりで、しかし今回は”純粋に自分のためだけに”。インドのどこに。そこをどうして決めたのか。
Nは20代の半ば、ユーラシア大陸の東の果てから西の果てまで、およそ2年かけた旅をする。その途中、ゴビ砂漠で素晴らしい星空を見る。そこで会った、世界中を旅したくさんの星空を見てきた50代半ばの女性から次のようなことを聞く。
「夫が生きていた頃は、よく二人で旅をしたわ。世界中を旅して回って、たくさんの美しい星空を彼と一緒に見てきたの。砂漠の星は素晴らしい。でもね、これまでに見た星空の中からマイベストをひとつだけ挙げるとしたら、私は北インドのラダックを挙げるわね。ラダックの山の中で見た、あのものすごい星空を」
ラダックに満天の星を見に行くこと、それは、” 小説を書く必要がなくなってしまった”あと、それしかすることない、しなければならないことなの、と読む者に聞こえてくる。共通の時間が途中で途切れたとき、ひとはなにをしてその空白を埋めていくのか。
しかし、たった一人の読者、その人のために書くつもりだったミズキの死はそれほど唐突なものではなかった。(Nにもおなじようなかげがあったのだろうか)
こんな風に書かれている。
「それは私が受け取ったミヅキの死を知らせるメールであって、その逆ではなかったのだ、と。そのことに驚いたわけでも、安心したわけでもなかった。私は妙に落ち着き払って、逆の展開について考えた。・・・・」
ラダックでのこと(寒さや高度障害や出会った人たちのことなど)とミズキとの思い出が交互に重なりながら出てくる。中学校・高校とともに過ごした友のことと、北インドでの旅のこと。時代が浮かび、そして冷たい風が吹き、こぼれそうな夜空が見える。『ラダックの星』(潮出版社、2018年6月)、是非手に取って読んで欲しい。
高い山でのことを少しは知っているHには、高所でのことが本当によく分かった。最後のストック・カンリ(6,153m)登頂はこちらが息苦しくなってきそうだった。