富士山山頂で一泊した


 DSCN5086 (途中で;右の雲の上の山は八ヶ岳連峰)

今秋、福井山岳会のKさん、YさんとH3人でネパールトレッキングに行く。すでに数ヶ月前にチケットを取ったし、もう行く準備は整っている。高度順化の前段階として一度日本で一番高い富士山の山頂で一泊しようとなった。3776mもあれば少しは高度順化に役立つだろうというわけである。 

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福井からは、KさんとYさんの他、3名が加わって合計6名になった。敦賀ICで待ち合わせて合流。高速を御殿場で下りて、富士北麓(ほくろく)駐車場に1時を回ってから着いた。駐車場にテントを張って6人で寝た。

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5時頃に起き出して朝食。テントを畳み、靴を履き、ザックの中身を確認して出発準備完了。富士北麓駐車場で、「富士山保全協力金」として1000円を払った。木の札をもらった。「富士山保全協力者証 2017」と書かれている。これを付けておけば上で協力金の呼びかけはないと聞くが、なんとも。

協力金を集めている係の方に、協力金とはなんとなく中途半端で払いにくい制度だと思う、もう少し安くして、はっきりと200円か、300円くらいを全員から徴収すれば良いのにと言うと、「国土交通省と環境省の縦割り行政、それに山梨県と静岡県、あまり仲がよくないなど、いろいろあってなかなか明瞭に決められないのです、五合目にアンケートを書くところがあるので是非そう書いてください」と頼まれた。

6時半のシャトルバスで、吉田口登山道の出発地点である富士スバルライン五合目まで行く。約40分のバス、駐車場の標高がが1000m足らずだったので、1200mほどをバスで上がった。DSCN5081

(ここから見る富士山はやはり大きい!)

7時半、歩き始める。馬が繋がれている。案内パンフレットによると、「五合目から六合目片道10,000円、五合目から七合目片道20,000円」とある。そして「山頂まで登ったことのある、ベテランのあかべえ号」と紹介されている馬の写真も載っている。

歩き始めてすぐにゆるやかな下りになり、泉ケ滝まで下りてから登りが始まった。ところどころ石畳ふうの広い道を六合目まで行く。六合目から上は徐々に傾斜が出てきて七合目までジグザグの道を行く。道の山側は土砂崩壊止めの大きな網状の側壁が延びていた。七合目から八合目までは本当に辛かった。息は辛いし、身体は疲れてくるし、足にはときどき痙攣が来るし、この先どうなるのか不安だった。吸うよりも吐くほうが酸素がたくさん入ってくると聞いていたので、ひと息ずつ大きく吐いて、文字通り一歩一歩歩を進めていった。何とか八合目に着く。

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八合目と言ってもただ一点があるのでなくて、最初に「八合目救護所」があり、その後も「八合目XX館」とか、また登っても「八合目XX荘」とか、登る毎に「八合目XX」が何個も出てくる。最後に「本八合目、元祖室3,250m」に着いた。このあたりまで来て少し楽になる。雲海を眺める余裕も出てきた。

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ガラガラの岩だらけの道もなくなり、頂上もそこに見えるところまで来たら上から「早川さん!」と声がかかり、最後の力を振り絞り、頑張ってみんなのいるところに着いた。「富士山頂浅間大社奥院」と刻印された大きな石柱があった。DSCN5108

ここが吉田ルートの最終地点3,715m地点であった。ヒイヒイ言いながらも6時間足らずで着いたのだから、ガイドブックの時間より短かったのである。まだ午後1時半。今夜宿泊予定の頂上富士館が開くのが4時なので、ぐるりとお鉢巡りをして小屋に行こうとなる。

富士山火口を眺めて回るお鉢巡りは時には強風で恐ろしいことになる場合があるらしいが、今日はそんなことはなく、大きく落ち込んだ火口を、その全貌は眺めることはできないが、見ながら小さな上り下りのある道を歩く。お鉢巡りと言っても火口の一番高い縁を歩くのでなく、その中に少し入ったりまた上ったりして縁の上に出たりの周遊道である。DSCN5111

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(先に見える何か建造物のあるところが剣が峰)

富士山の最高地点3,776mの剣が峰に着く。DSCN5128 

かつてここには富士山レーダーが設置されていて気象観測に威力を発揮し天気予報に多大な貢献をしたが、199911月にその役目を終え,今は廃墟のような状態である。ウィキペディアによれば、いまでも「自動気象観測装置による気象観測を行っている」。 

どこかの外国の若い3人組、Hを見て写真を撮ってもらえないかと。承諾してスマホのボタンを押す。どこから来たのと訊くとエストニアだという。どこにあるのかすぐにピンとこなかったが、バルト三国、エストニア、ラトビア、リトアニアとでてきてだいたいの場所を思い出す。富士山はきつかったようだ。「お国にはどんな山が?」と訊くと「300mが一番高い、富士山の10分の1以下だ」と笑っていた。剣が峰から15分足らずで宿泊予定の山頂富士館に着いた。 

山頂富士館は看板にあるように正確に4時直前まで内側から施錠されていて、数分前にやっと中に入ることができた。7,500円を前払いする。小屋の人たちの、北アルプスの山小屋の人たちとはかなり異なる、われわれに対する非お客さん扱いについては割愛。 

いつ天日干ししたのか分からない布団が部屋いっぱいぎっしりと並べてあって、各自それぞれここに寝るようにと布団の位置を指示された。夕飯は5時から、レトルトカレーのかかったご飯と円筒形のプラスティック容器に入ったワカメ+卵のスープが夕飯の全部だった。7時に真っ暗になった。非常に疲れていたのですぐに眠りに落ちた。 

201796() 雨後曇り

夜中に雨風の音が激しく、4時きっかりに室内灯があかあかと点いたときも雨風の音がまだ変わらず続いている。

朝起きて聞いてみると、6人のうち4人は昨晩頭痛がして寝られなかったという。同じ部屋にいた別の女性4人組も4人とも頭が痛かったと言っていた。

朝食はご飯の横にまだ封の切ってない鯖の味噌煮パックが付けてある。それに昨晩と同じ形の容器に麩だけが浮いている味噌汁。昨晩も今朝もご飯+おかず1品+汁だけで、水もお茶もなし。日本の最高地点の食事は厳しい。ちなみに500mlミネラルウオーターが500円だった。 

少し明るくなってきたのでカッパ上下を付けて風雨の中小屋を出る。下山路が始まる地点まではお鉢巡りの道を行くことになるので、そこまでの厳しかったこと、眼鏡が雨に濡れて見にくいので外して歩いた。横風が突如強くなって吹き飛ばされそうになった。30分ほど歩いてやっと下山路地点まで来る。

 

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下り始めて山頂の北側斜面に入った途端、風が止み雨も弱くなり広い道を心安らかに降りることができた。広い砂状の道を駆け出すのをセーブしながら下りる。

DSCN5144

3時間くらいで富士スバルライン五合目に着く。8時半発のバスに間に合って9時過ぎには富士北麓駐車場に戻った。 

紅富士なんとかいう風呂に入り、高速のサービスエリアで昼食を摂り、敦賀IC4時半、帰宅6時だった。



Author

早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


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