『みみずくは黄昏に飛びたつ 川上未映子訊く/村上春樹語る』と永井均の哲学


長々としたタイトルになったが、『みみずくは黄昏に飛びたつ』を読んで、それはそれで面白いことがいっぱい語られていて、それらをあげていくと引用が止めどもなく続きそうで、超訳と題して書いた先のタブッキの『レクイエム』のときのようなスタイルになりかねないので、『みみずくは・・』のなかで、「開かれた物語」や「洞窟スタイル」といって語られていることに絞って、それらとこれまで読んできた永井均の哲学を、その内容でなく哲学とはどういうことをすることなのかという、その学問の指向性といったようなことと比べて書いてみたい。

しかし、『みみずくは・・』の内容にも少しは触れたいので最初はそのことについて羅列歴に。

まずは、村上春樹の後書きの引用から;

「退屈でつまらない答えで申し訳ないけど、退屈でつまらない質問にはそういう答えしか返ってこないんだよ」とアーネスト・へミングウェイがどこかのインタビューで語っていた。僕もこれまでの作家生活の中で少なくない数のインタビューにこたえてきて、思わずそう言いたくなる局面を何度か経験した(礼儀正しい僕はもちろんそんなことはロにしなかったけど)。

 でも今回、川上未映子さんと全部で四度にわたるインタビューをおこなって、まったく正直な話、そんな思いを抱かされたことはただの一度もなかった。というか、次々に新鮮な鋭い(ある場合には妙に切実な)質問が飛んできて、思わず冷や汗をかいてしまうこともしばしばだった。読者のみなさんも本書を読んでいて、そういう「矢継ぎ早感」をおそらく肌身に感じ取ってくださるのではないかと思う。(引用終わり) 

ここに四度にわたるインタビューとあるが、第一回が『職業としての小説家』に関してのインタビュー、あとの三回が『騎士団長殺し』に関するインタビューである。最後の四回目は川上未映子が村上春樹の家を訪ねてそこで話を聞いている。 

第一回目は割愛して、あとの三回のなかから、本を読み返すとあれもこれも書きたくなるので、面白かったことを思い出すままに並べてみる。

・「騎士団長殺し」のタイトルはどこかで浮かんできてこれで物語を書くと思った。

・最初の書き出し、「その年の5月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの山の上に住んでいた。・・・・エアコンがなくてもほぼ快適に夏を過ごすことができた」までの文章は、タイトルの「騎士団長殺し」とは全く別に、以前思いついてメモのように書いてパソコンに貼り付けてあった。

・長編を書き出すと、一日枚と決めて必ずそれを守る。

・できあがるまでに書き直しが10回ほどある。

・昔書いた物は読み返すことはない。

・「イデア」と「メタファ」について、川上未映子がプラトンの『饗宴』と『国家』から村上春樹に講義している。僕、詳しくは知らない、などと村上春樹は言っている。

・小説は最初に枠組みを考えて(作って)書き出すのでなく、なんとなく書いていくと向こうから物語がやってくる。

・登場人物がはたしてどのような人なのか作家自体もよく分からない。「免色さん」や「白いスバル・フォーレスタの男」や「顔ながさん」を作家は詳しく説明できない。説明できるようでは面白い物語ではない。

・家の地下一階は近代的自我、これにはあまり興味がない。地下二階に喩えられている集合的無意識を書いている。これは時代を超え民族を超え世界に通じている。以下の「開かれた物語」や「洞窟スタイル」はこのことと関係する。

以下は再び引用;

村上 で、僕は思うんだけど、集合的無意識が取り引きされるのは、古代的なスペースにおいてなんです。

川上 古代的なスペース。

村上 古代、あるいはもっと前かもしれない。僕が「古代的なスペース」ということでいつも思い浮かべるのは、洞窟の奥でストーリーテリングしている語り部です。原始時代、みんな洞窟の中で共同生活を送っている。日が暮れると、外は暗くて怖い獣なんかがいるから、みんな中にこもって焚火を囲んでいる。寒くてひもじくて心細くて……、そういうときに、語り手がでてくるんです。すごく話が面白い人で、みんなその話に引き込まれて、悲しくなったり、わくわくしたり、むらむらしたり、おかしくて声を上げて笑ってしまったりして、ひもじさとか恐怖とか寒さとかをつい忘れてしまいます。 

 僕はストーリーテラーつてそういうものだと思う。僕に前世があるのかどうか知らないけど、たぶん大昔は「村上、おまえちょっと話してみろよ」って言われて、「じや、話します」 みたいな(笑)。きっと話していてウケて、「続きどうなるんだよ」「続き明日話します」といった感じでやってたんじゃないかなというイメージが、僕の中にあるんです。コンピュータの前に座っていても、古代、あるいは原始時代の、そういった洞窟の中の集合的無意識みたいなものとじかにつながってると、僕は常に感じています。だから、みんな待ってるんだから、一日十枚はきちんと書こうぜ、みたいな気持ちはすごくある。で、自分の前で聞き耳を立てている人たちの顔を見ている限り、自分は決して間違った物語を語ってないという確信は持てます。そういうのは顔を見ればわかるんです。(引用終わり) 

洞窟での語りについて、再び引用;

村上 そういう物語の「善性」の根拠は何かというと、要するに歴史の重みなんです。もう何万年も前から人が洞窟の中で語り継いできた物語、神話、そういうものが僕らの中にいまだに継続してあるわけです。それが「善き物語の土壌であり、基盤であり、健全な重みになっている。僕らは、それを信頼し信用し考くちゃいけない。それは長い長い時間を耐えうる強さと重みを持った物語です。それは遥か昔の洞窟の中にまでしっかり繋がっています。(引用終わり) 

「もう何万年も前から人が洞窟の中で語り継いできた物語、神話、そういうものが僕らの中にいまだに継続してあるわけです。」のところ読んでいて、永井均さん(呼びようがないのでさん付け。先生でも氏でも呼び捨てでも、どれもしっくりこないから)がデカルトの「我思う故に我あり」について書いていることを思い出し、村上春樹の「継続」と比較したくなった。 

永井均さんの哲学の出発点は、小学生の低学年のころ、みんなで整列しているとき、何列か前にいる子がなぜ「私」(あるいは、僕だったか)でなくてこの永井均というのが僕なのか、それが腑に落ちなかったことらしい。どこかにちゃんと書いてあったのでそれを探せば良いが、それが面倒なので正確な言い方でないがまず間違いない。 

このような感覚はそれを感じる人しか共有できないので、Hにはぴったりとした感じはないが、そこを出発点として繰り返し繰り返し論じられている書物から理解できる範囲で、永井均さんの哲学を理解していると思っている。 

Hの問題は「なぜ生まれてきたのに死ぬのか」ということに集約できるが、これは生物科学的には問いにすらなっていない。「死ぬのは生まれてきたからである」が答えからである。そうではなくて、今この世にいること、それがそのうちそうでなくなること、それはどういうことなのか。どのようなことになっているから気になるのか。こう言ってもよく分かってもらえないと思うが、「どういうこと」とか「どのようなこと」という問いは、意味を問うているのでなく存在を問うているのだというのが、永井均さんのものを読んでいて、分かった。 

細かいことは今書き続ける馬力がないので、はしょって、永井均さんの書かれたものを思い出しながら、デカルトの「我思う故に我あり」に行くと、デカルトが懐疑に懐疑を重ね、欺す神に欺されていることも考慮に入れて、それでも考えている自分がいることは間違いないと結論できた、ということになるが、これがデカルト以外の人に理解されることはデカルトが理解したこととは違うことを理解していることになるので、デカルトが理解したことは決して理解されないことこそ、デカルトが理解したことなのだが、これはもう何を言っているのか分からなくなり、決して伝えることができない。各自が「私」と言ったとき、そういうことが起こっているので、そんな世界にわたし達は生きているということになる。 

デカルトが理解したことは決して理解されない構造になっているのに、その後の、いわゆる教科書に載っているような大哲学者達もことごとく誤解していて、これに言及したのは永井本人が初めてで(と書いてあったように思うのだが)、村上春樹との比較で言うと、村上春樹は何万年もの歴史の延長線上にある洞窟での語りとも言うべきことを、そのスタイルを受け継いで、行っていて、それは「善き物語」を紡ぎ出すための方法であるといっているが、一方、永井均さんは、そのような支えは全く必要なく、自分が見つけた、気がついたことを、これまで歴史上の誰も気がついていないなどと言う。 

ものすごい量の勉強をして到った話なのだが、これもどこかに書いてあったが、哲学はある程度まで自分一人だけで、それまでの哲学が達したレベルに行っていない人には向かない学問であるらしい。何かを読んで、「ああ、同じことを考えている」と気がつくらしい。村上春樹(村上春樹には、さんも氏も付けられないので敬称略)と永井均さんの比較は、善い悪いの話ではなく、その対比があまりに面白く、忘備録のつもりで書いた。

それで、最初の設問「なぜ生まれてきたのに死ぬのか」はどうなったのかということを語る前に、まず、永井均さんが素人がする哲学について書かれているので、長いけれどそれを引用する。 

<『哲学の賑やかな呟き』(2013919日初版、ぷねうま舎)から引用> 

前には「素人の哲学ほど馬鹿馬鹿しいものはなく、玄人の哲学ほど無駄なものはない」というようなことを書いたが、それは両者を相手の側から見た場合の否定像であった。肯定像を語るなら、「素人の哲学は切実、玄人の哲学は見事」となるだろう。

 素人の哲学の本質は問いの自立ではないだろうか。哲学の学習と独立に、自分自身が直接持った問いだけが哲学的に問うに値するものだ、と私は信じる。だから私は、哲学において「素人の優位」を確信している。素人がナマの問いを強く持ち続けるかぎり、玄人のどんな手練手管によっても本質的には答えられない残余が残り続けるだろう。どんな巧妙な玄人芸も素人哲学には勝てない。ソクラテス以来、哲学は本質的に問いの優位のもとにある営みだからである。

 それと裏腹の関係にある素人哲学の致命的難点は、答えを性急に求めてしまうことだろう。とはいえ、それは当然のことだ。問いが真剣であればあるほど、議論のプロセスを楽しむなどという悠長なことをしていられるはずがないから。なんとか主義に帰依したり、自分でなんとか哲学を作ってしまったり、の陥穿に陥る。しかし、切実な問いを地道に、したがって悠長に、考えるなんてことが、どうしてできようか?

 それとの対比で言えば、玄人の本質は、その地道さそのものが自己増殖しているところにあるだろう。地道で悠長な探究のプロセスが、その内部でさらなる問題を生み出し、さらにその解決法の型や技が鍛え上げられ、それがまた新たな問いを生み、というプロセスが絶えることなく続いてきたので、今日の玄人哲学者のほとんどは、その内部で生まれた問題を(すでに存在する技を習得しつつ)研究している。というとちょっと聞こえがいいが、多くの場合は習得し続けるだけである。玄人の哲学の致命的な難点は、問いが始めから技と型の連関の内部に埋もれていて、自立していないことにある。

 とはいえ、もちろん、玄人だけがなしうる玄人的オリジナリティというものはある。それは、問題のテクニカルな分析や解決などではなく、例えば、これまで独立のものと思われてきた問題(や型や技など)の間の本質的な相互連関を独自の仕方で発見する、というようなことである。そういう仕事の見事さを味わえることは、哲学の玄人だけの特権的快楽である。私の感じでは、多少ともそういうことができるようになるには、複数のよき指導者と複数のよき同志とともに、最低10年間の一意専心の修行期間が必要である。その過程を経ないと、素人としての哲学的問題を哲学的に考える能力自体が生まれない。<引用終わり>

この歳まで素人できたのが残念なような、しかし、それしかなかったのだから、もう何を言っても始まらないので、最初の設問「なぜ生まれてきたのに死ぬのか」がどこに着地したか書く。 

この問いの前提には、Hが生まれる前からそこに登場すべき世界がすでにあり、まあ言ってみれば役者が登場する舞台のようにありそれはあり、生まれることによってその舞台に登場し、やがて死ぬと舞台から去るようにしてそこからいなくなる、ただし、舞台は依然としてそのままにある、そんな世界観が根底にあったのに気がついた。それでいやだったのだと。そのような世界観があって初めて出てくる問いであった。そうではなかったのである。

世界はHから開かれていて、Hから独立にある世界(生まれる前とか死んだ後とかにある世界)は、Hにとっては世界という枠組みさえ成立しない、そのような概念を結ぶことができない、つまり、Hの存在と世界の存在は同時であり、一分の隙間もなく、Hが滅びることは世界がなくなることであり、しかし、Hは自身の死のことは理解できないのだから、世界の消滅もあり得ない、知り得ないことになり、その観点に立てば、無始無終ともいえる。なんだがずいぶん遠くまで来た気がするが、一方でこれはごく平凡なことなのでないかとも思える。やっと始まりにたどり着いたような気分である。

 

 

 

 

 

 

 



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早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


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