若狭の魚や物資を京都に運んだ、いわゆるサバ街道は複数あったが、今日歩く道はそのうちのひとつである坂本から棚野坂越の道である。メンバーはHのほか、山岳会のMさんと友人のFさん、合計3人である。
登り口を坂本の坂尻とし、下山を堀越峠を通る旧国道が京都側で国道162号線に出会う地点とした。Fさんの車を旧道の道脇に停めて、坂本まで戻って坂尻から歩き始める。8時半。
入り口は獣害ネットの金属フェンスがあり、そこの扉を開けて道に入る。入ったあと再びしっかりと施錠をした。
いまは日常的に使われていないので、道の真ん中に大きな木が立っているところがある。標高350mほどのところだったか、大きな土砂崩れのあとがあり、いまはすっかり修復されているが、何段もの土砂崩れ止めが横に長く棚状に積み上げられていて、通れるような状態ではない。
大きく深くU字状にへこんだ道が並行していて、これは歩きすぎて深くなり使いづらくなったとき自然にできる形状である。ここの街道が往来の盛んだったことを示している。
広い道から山の斜面の道に変わる。その傾斜が大きく鋭く道幅もほとんどなく滑ったらはるか下まで止まりそうにない。死が口を開けていると言っても間違いでないようなイヤラシイ所だった。こんな所は帰路の下りでは通りたくない。登りだからよかった。
緊張を強いられたがそのあとはのんびりと歩き、ブナ林に出て初めて長い休憩を取った。歩き始めて2時間ほど経っていた。そこから棚野坂の六地蔵までは20分ほどだった。
六体のお地蔵さまのうち4体が前向きに倒れていたので、MさんとFさんが起こしてくださった。Hは作業に参加せず、それらを写真に撮っていた。みんなで合掌した。六地蔵発1時。
県境尾根に11時20分。無線塔へ通じる広い道で出る。しばらく歩いて風のあたらないところで昼食。昼食を終えて無線塔の道に出たのは12時だった。いまはところどころ雪があるがそれが溶ければここまでは車で来ることができる。ここからつづら折りの道を長々と降りて旧国道に出た。出会ったところが旧国道の堀越峠。
(旧国道を下っているときに見た花、ヒュガミズキ)
堀越峠を越える旧国道は、名田庄村史によると、昭和26年から昭和28年まで国鉄バスの定期便が京都まで通っていたところである。昭和28年9月の台風13号で路面が損傷し、バスも大型化して、運行に危険なところもあり、バスの運行は終わったと、そこには記されていた。
朝車を置いたところに1時半に着いた。朝から5時間の行動だった。歴史の道を歩く楽しい一日となった。