2年前に、大学院の時一緒だったものの同窓会があり(全員でたったの6人の同窓生)、話がはずんで「文集」を作ろうとなった。卒業の時も「文集」を作ったので、ぞれからずいぶん年をとっているのに、あいかわらずである。小生、「Hの人生」と題して書いた。どこかに残しておかないと散逸しそうなので、ここに置くこととした。下のpdfファイルから読んでみてください。(縦書きで、長々と書いてあります)
2年前に、大学院の時一緒だったものの同窓会があり(全員でたったの6人の同窓生)、話がはずんで「文集」を作ろうとなった。卒業の時も「文集」を作ったので、ぞれからずいぶん年をとっているのに、あいかわらずである。小生、「Hの人生」と題して書いた。どこかに残しておかないと散逸しそうなので、ここに置くこととした。下のpdfファイルから読んでみてください。(縦書きで、長々と書いてあります)
ご無沙汰しています。
覚えていてもらえれば、うれしいのですが。
京都府で藤波直人さんの下で放射線監視の仕事をしておりました渡辺哲也です。
懐かしいお名前を見つけメールしました。
お元気であることを、心から祈っています。
渡辺様
連絡ありがとうございます。返信が遅くなりました。
藤波さんはしっかり覚えていますが、他の方は名前と顔とが一致しません。スミマセン!
どこで、このブログ「無住庵通信」にたどり着かれたのか、とても興味深いです。
私は、大病をしましたが、元気に毎日過ごしています。このブログにも(最近は更新を怠りがちですが)ちょこちょこ書いていますので、興味がありましたら眺めてみてください。
もう定年退職して20年が経過しました。81歳です。我が身ながら信じられません。
大学院の同級生が6人だったのが、4人亡くなり2人だけになりました。
どうかお元気で