(右奥の白いピークの向こうが上谷山)
上谷山の頂上まで達したのは覚えているだけでも4回ほどあるが、途中で引き返したことも何回かある。今回はどうなるのかと思いながら行ったが、結論から言えば、あと少しで行けなかった。いま思えばとても残念だが、仕方がない状況だった。
「そば道場」に7時集合が予めメールで連絡した時間だったが、福井から来たTさんは6時20分着ということだったし、われわれ若狭組3人は6時45分に着いた。天気は予報より少し悪くまあまあである。ここから一台の車で広野集落まで行く。駐車場所を探し、集落奥の橋の際に何とか停めることができた。除雪の雪が道端にあるので、ここから衣装を整えて(スノーシューやらスパッツなどを着け)7時20分発、急な杉林の中に入る。
しばらく急登が続きくたびれたが、8時頃には440m付近の主稜線上に出た。左手に広野ダムが見える。先頭のラッセルは新田さん、武田さん、多田さんが交互にやってくれる。Hはほんのすこし担当して後ろの人にかわってもらう。したがって、開けてくれた道をたどるだけなのですこぶる楽である。先頭のスノ-シューは膝下くらいまで沈んでいたか。
雪面には三角形状のウサギの足跡や、それらよりはるかに大きな円形の跡は熊か?彼らの進む方向は我々と同じ上を目指している。
細いブナの林が表れ始め、斜めから指す日の光に木々が雪面に線状の陰を作り、その模様がとても美しい。
ブナは登るに従って太くなっているが、Hの記憶の中ではブナの木はもっと太かったのだが見ている林はそうではない。あれ!これくらいのブナだったのか、と思いながら登っていた。振り返ると4人が付けた雪面上のトレースは幅数10cmのU字状の凹みになって下から延々と続いている。
手倉山の下の少し傾斜の緩やかなところに直径6,7mくらい、深さもそれ以上の大きな穴がある。いつ来ても不思議な気がするが、すぐ近くを通らないと見落とすので、今回うまく見られるかなと思っていたが、左手すぐ横を通過するルートをとれてみんなに見てもらうことができた。ここまで3時間かかった。
急な登りを2回ほど登り手倉山に着く。11時前だった。上谷山は前方左手奥にあるがここからはまだ見えない。午後1時までともかく行こうと決めて歩き始める。3人の写真をとる。
雪庇の発達した尾根が前方に見える。手倉山の頂上からの登りはゆるやかでいったん下るところもある。雪庇を踏まないよう林の側を歩く。木々は霧氷を付けて日の光に輝き本当に美しい。新田さんはわれわれ以外だれもいない閑かな美しい山に「4人占めだ!」と大喜びである。
手倉山の頂上にいたとき、あそこまでは最低行こうと言ってところはすでに過ぎて、風が強くなってくる。
歩いている尾根の表面の雪は吹き飛ばされて凍った雪面にみんなは緊張する。最後の小さなピークに達した時、そこは県境稜線上の1168mのピークだったのだが、吹き飛ばされてくる霧氷の氷が顔に当たり、また足もとが氷結していて、とてもじっとしていられる状態でない。こんな状態が頂上まで続くのならちょっと行けそうにない、それに時間も12時半になっていたので、ここまでにして下りようとすぐに決まる。
(ここがきつかった!顔は飛んでくる氷が当たって痛いし、足下は凍っているし)
なにか安心したような気分で青空が広がる中を元来た道を正確にたどって下りる。下から声が聞こえてくる。どうかや6,7人の団体のようである。昼食を済ませたあとみたいで、「トレースありがとうございます、楽をさせてもらいました」と、挨拶。京都山岳会の方で下の広野集落を9時に出たということであった。もう1時を回っているのにこれから頂上を目指すというのだから、下山はきっと遅くなるだろう。
今度の山のことで、多田さんに土曜日がいいか日曜日がいいか相談したとき、かれは「雪の状態は土曜日のほうが良いだろう」ちうので、それがどういうことか分からなかったが、「ほら、明日われわれがここに来ていたら、付けられたトレースをたどるだけで、新品の雪を踏み分けていけないのだから、今日でよかったでしょう」と言われ、「雪の状態がいい」の意味を納得する。確かに、人のあとではつまらない。
下りはまことに快調。今日は一度も集合写真を撮っていないので、手倉山まで戻ってきて集合写真を撮った。
下の車の所に15時45分に着いた。朝から8時間半ほどの歩きであった。頂上まで行けなかったがみんな大満足の山行であった。