アントニオ・タブッキ『レクイエム』を読む


 アントニオ・タブッキ『レクイエム』(19965月、白水社。鈴木昭裕訳) 

 タブッキを久しぶりに読んだ。タブッキの『インド夜想曲』を読んだのが何年前だったのか定かでない。時間の感覚がずれてしまってどのようなこともつい最近だったような、あるいはもうはるか昔だったような、そんなふうになってしまった。このごろは小説より哲学の方に興味が向いて読書もそのような傾向にあり、物語の中に入って行くこともあまりないのだけれど、やはりタブッキは面白かった。

アントニオ・タブッキ(1943923日、ピサに生まれる。201235日、リスボンで没)

『レクイエム』には著者の「はじめに」がついていて、そこの一部を抜粋すると次のようになる。

「このレクイエムは、ひとつの「ソナタ」であり、一夜にむすんだ夢でもある。わが主人公は、同じひとつの世界のなかで、生者に会い、死者に会う。そこに出てくるひとびと、事物、場所は、たぶんひとつの祈りを必要としていたのだろう。そして、わが主人公には、物語という彼なりのやり方でしか、その祈りを唱える手だてがなかった。だが、この本はなによりもまず、わたしが舞台として選び、わたしを語り手に選んでくれた国と、わたしが愛し、わたしを愛してくれたひとびとに捧げるオマージュである。」 

Amazonの内容紹介には、「7月は灼熱の昼下がり、幻覚にも似た静寂な陽の光のなか、ひとりの男がリスボンの街を彷徨い歩く。この日彼は死んでしまった友人や若き日の父親と出会い、過ぎ去った日々にまいもどる。タブッキ文学の原点とも言うべきリスボンを舞台にくりひろげられる生者と死者との対話、交錯する現実と幻の世界。」とある。 

ちょっとややこしいことにこの小説はポルトガル語で書かれ(その理由も「はじめに」にあるが)、それをイタリア人がイタリア語に翻訳している。日本語翻訳の底本にはイタリア語版を用いたと訳者あとがきにある。 

生きているのか死んでいるのか分からない主人公が、夏のある日の正午から真夜中までの半日の間に会う23人の人々との、ぼそぼそと呟くようにして話す、その物語の集合がこの小説である。主人公は最初は確かに生きているところから始まるのだが、そのうちいつの間にか幽界に入り込んですでに亡くなってしまった人とも会話を交わす。 

23人がだれであるかは、「はじめに」に続いて、この本で出会うことになるひとびと“として列記されている。すでに読み終えたものにはこの23名の特徴を並べておけば思い出す手がかりになるが、それではこれから読む人には親切でないと思い、なんとか23人を説明して、かつ物語がうまく繋がっていくようなことをこれからやってみたいと、始める。Hによる『レクイエム』超訳を目指すが、ヘタをすると本文をどんどん写すことになりかねないがそうならないように気をつけていかなければならない。 

舞台は人気の絶えた猛暑の町リスボン:

わたしは亡くなってからもうずいぶんたつ20世紀の偉大な詩人と桟橋で12時に会う約束で桟橋にいたが、幽霊なら夜の12時かと桟橋をあとにして公園に向かう。

公園のベンチに座っていると、「やあ、こんにちは」、とひげを伸ばし放題にした青年が声をかけてくる(1.麻薬中毒の青年)。「ちょっと援助してもらえませんか」。食費の援助ですというが、ヤクを切らしていることはあきらか。麻薬について、わたしは状況によっては良いと思うが、いまはダメだ、ところでフランスの音楽家サティを知っているかと青年に話しかける。「しらないです」。しばらくサティについて蘊蓄。青年は話を遮って「200エスクードでいいのです、音楽に話にも付き合ってあげたのだから.手荒なまねはしません」。わたしは麻薬中毒の青年に200エスクード渡してベンチにいる。 

ベンチで休んでいると、

「明日は宝くじの抽選日だよ」、男の声が聞こえきた。70歳くらいの小柄な男で、質素な身なりはしているが、顔つき身振りから落ちぶれる以前の暮らしぶりのなごりがうかがえる(2.足の悪い宝くじ売り)。二人、ベンチ。どこかでお会いしたような、なにかの本の中でお会いしたような気がするな。老人、「旦那さんはなにかに囚われやすいひとのようだね」。わたしは思い出す。『不安の書』の中で会ったのだ。「わたしもそこから抜け出てきたような気がします。」二人は魂と無意識について議論する。わたしは足の悪い宝くじ売りから九で終わる宝くじを一枚買う。

ぼくはこれから記憶のなかにしか存在しない人間に会わなければならない。町は空っぽ、木陰で40度、「記憶のなかにしか存在しない人間に会うには申し分のない一日だと思いますよ。」 

わたしはタクシーに乗る。

「あいにくだけど、お客さん、ペドラス・ネグラス通りなんてのは知らないな」。ひと月前にリスボンに出稼ぎできた運転手は答える(3.タクシーの運転手)。わたしは自分が全身汗まみれになっているのに気づく。新しいシャツを買いたいが日曜日でどこも閉まっていると運転手、「そうだ、ジプシーの店がある」。プラゼーレス霊園の入り口のところで売っていた。その前にわたしはカフェ・ブラジレイラに立ち寄って酒を一瓶買いたいと運転手に回ってくれと頼む。 

ブラジレイラに入ると、カウンターのなかのバーテンダーがからかうような目でわたしを見た(4.ブラジレイラのバーテンダー)。「お客さん、テージョ川にでも落っこちたわけ?」。それならまだましさ、からだのなかを川が流れているのだ。バーテンダーからシャンパンの講釈を聞いてロラン・ペリエを買う。外に出て再びタクシーに乗る。 

プラゼーレス霊園の広場までの道のりは複雑でタクシーはオーリケ広場に着く。ここからプラゼーレス広場に出るには一方通行の道を逆走しなければならない。運転手は営業許可書証が本式でないので嫌だという、「お巡りに見つかったら、目の玉が飛び出るくらいの罰金を払わされたあげく、サン・トメーに帰されちまうんだ」。わたしは罰金を払うから行ってくれと頼む。このままでは病気になる。タクシーは進入禁止の一方通行の道を最後まで逆走してプラゼーレス広場に出る。タクシーを待たせてわたしは降りる。 

わたしは頭に黄色のスカーフを巻いた黒い服の老婆のところに近づいた(5.ジプシーの婆さん)。「あんた、マラリヤかなにかかい?あんたがどうなっているのかあとで教えてあげるけど、とにかくシャツを買うんだね」。わたしは520エスクードのラコステのシャツを2枚買う。「あんた、自分の運命を知りたいだろう?」。左の手を見てもらう。「お若いの、このままじゃいけないよ、現実の側と夢の側、ふたつの側で生きることなどできっこない」。どうすればいいんだろう、教えてください。「自分の運命からは逃げられないんだよ、今日という日は受難の日であるとともに、浄化の日でもある。・・・・・あんたが捜している家はあんたの記憶か、夢の中にしかない」。わたしは老婆に礼を述べてタクシーのところに引きかえした。 

わたしは霊園のなかに入る。正門のわきの小屋をのぞく。うずたかく積まれた棺、「お入んなさい」と声がした。眼鏡をかけ灰色のエプロンを掛け、黒い帽子をかぶった小さな小さな男(6.墓守)がいた。男は食事中だった。食べているのはフェイジョアーダ。「昨日も今日もこれ、女房はこれしか作れないんです」。わたしはここでシャツを着替える。墓守は子どものころここに来ていらいもう50年。ここにわたしの友人がいるのです。彼に会ってひとつ訊いておきたいことがあるのです。「死者というものはとても無口なものですよ」。訊くだけは訊いてみたいんです。「女性のことですか?」。わだかまりがあったのでそのことについてその中身を知りたいのです。その人の名はタデウシュ。作家です。墓守は本名を訊いて埋葬場所の区画を教える。右第一区4664番。礼を述べて、わたしは墓守とわかれた。シャンパンの瓶を片手に暑さのなかに出て行った。 

右第一区を探す。墓が見つかった。ポーランドの名前と見覚えのある写真。それは1965年にわたしが撮ったものだった。タデウシュがシャツをまくり上げ立っている(7.タデウッシュ)。やあ、タデウシュ、僕は来たよ、こうしてきみに会いにきたんだ。 

「さあ、こっちに来たまえ」、タデウシュの声がした。わたしは家に入る。暗い廊下、荷物の散乱した床にわたしはつまずく。「つまずくのはきみの特技だったからな」。別に部屋から声が聞こえてきた。逆光の中、戸口に立つタデウシュの姿が浮かび上がる。はっきりさせたいことがあってここに来たのだ、きみはなにも告げずに死んでしまったから。「お昼は?なにか食べに行こう。この下のカジミーロのところで」(8カジミーロ)。カジミーロの奥さんの料理についてタデウシュが話す。二人は文学の話をする。「さあ、時間だ、カジミーロの店に行こう」 

わたしたちは腕を組んで歩く。「会いに来てくれてうれしかったよ」。あんな形で分かれたままでいられなかった。僕の頭を悩ませていたのは、死の当日、きみから渡されたメモ。医療機械につながれたきみが書くものをよこせと言って書いたメモには、「なにもかも帯状疱疹のせいだ」。ぼくはあの言葉がイザベルと関係あるのでないかと思い続けてきた。だから、ここに来たのだ。「そのことならレストランでしよう」 

ふたりでカジミーロのレストランに入る。「この男だれだかわかるかな?この夏のまっさかりに、ひょっこりあちら側から訪ねてきた旧友だよ」。ふたりは客のいない店内に案内される。タデウシュがテーブルを選ぶ。厨房のそばに鸚鵡が一羽止まり木から、ときおり、「よれでよし!」と甲高い声を張り上げる。タデウシュがサラブーリョを注文する。じつにみごとな料理だよ、きみの言うとおりだ。鸚鵡が叫んだ、「それでよし!」。タデウシュ、ここに来たのはイザベルのことを聞きたかったからけれど、それはあとにするよ。「カジミーロさん、奥さんを呼んできてもらえないか、おいしいサラブーリョのお礼をいいたいから」。ほどなく白いエプロン姿の女があらわれた。でっぷりした体格で口元にうっすらとした髭が生えている(9.カジミーロさんの奥さん)。カジミーロさんの奥さんは郷土料理のサラブーリョの詳細な作り方の説明をする。材料や分量や調理方法。説明を終えて、「あとはただお召し上がりになるだけ」 

食後、ふたりは葉巻に火を付ける。なあ、タデウシュ、イザベラはなぜ自殺したのだろうね?「本人にたずねてみたらどうなんだい?」。どうやってみつけたらいいんだい?「ぼくが助けてやるよ」。わたしは問いつめる。イザベラに子供を堕ろすように説き伏せたのはきみじゃなかったのか? 

タデウシュはわたしに訊く。「あのときどうして欲しかったのか、イザベルがふたりの父親をもった私生児を産むことなのか」。わたしはイザベルときみとの関係を知らなかった。あれはどっちの子だったのか。「訊いてどうなる?」

子供にも生きる権利がある。「4人の不幸な人間をこしらえるのか」「自殺の理由を知りたいのなら、訊くべき相手は彼女の方だ」。どこに行ったらあえる。「きみが決めたまえ」。アレンテージョ会館で。いま、とても眠い、ひと眠りしたい。安いペンションでいいんだ。「それならイザドラって名のペンションがある。リベイラ通りの方だ」。さようなら、タデウシュ、二度と会うことはないだろう。鸚鵡が叫んだ、「それでよし!」 

古い建物、ブラインドはこわれて垂れさがっていた。ガラスドアーに「ペンション・イザドラ」。わたしは中に入る。居眠りをしている男、歳の頃は六十五かもう少し上、肉の落ちた顔にほそい口髭(10.ペンション・イザドラのドアマン)。「ご用件は?」。部屋を借りたいんだ。「ここはまともな宿屋なのだ。お一人さんはお断りだよ」。わたしはただ一眠りしたいだけなんだ。ちゃんとしたホテルに泊まる余裕がないんだ。ドアマンはなかなか納得しない。わたしはこれ以上無駄と悟り、イザドラはいるか?彼女と話させてくれ、彼女の友達のところから来たのだ。 

イザドラが階段のてっぺんからあらわれる(11.イザドラ)。現役をしりぞいた年寄りの元娼婦、その押し出しはなかなかのもの。「ごめんなさいね、お客さん。わたしに話があるんだったら、すぐに言ってくださればよかったのに」。わたしは2階の15番の部屋をあてがわれる。広い大きなベッド。ほどなくノックの音がしてメイドがやってくる。ちょっと太目の髪にちりちりのパーマをかけた、顔は田舎くさい、まだ二十五にもなっていないのに四十女のように見える(12.ヴィリア一夕)。ヴィリア一夕は友達のこと、自分の将来のこと、父親のこと、田舎のこと、田舎の料理のことを話す。ベッドをととのえ終えると「はい、これでできあがり、お客さん、添い寝してあげようか?」1時間半ほど眠りたいだけなんだ。「背中がかゆくなったら?」。「ぼくには背中を掻いてくれるだれかさんはいらないよ。きみは良い子だね、おやすみ」 

「ラテン語のアルファベットは全部でいくつだ?」わたしの父の声がした。

ここから、死んだ父との会話が始まるが、父との会話のページはこの小説の中で一番長い。白水社Uブックス版で68ページから76ページまである。いままでのような書き方だと延々と小説の中の会話を写さなければならないような気がしてきたので、ここで父との会話の部分を超訳者Hは解説的に書くことにする。

父は二十歳かそこらの青年で水兵服を着ている(13.若き日の父)。わたしは父の歳をはるかに超えているが、父は間違いなく父であるとわたしは思う。

なぜ父が登場したのか。父は子に執拗に自分の死のときの状況を訊きたがる。根掘り葉掘り。わたしにとって父は好き勝手なところに現れて、わたしが困るような質問ばかりする。そんな父がいまは自分がどうやって死んだのか息子に尋ねる。息子のわたしはそれに答える。病気が喉頭癌であったこと、その処置が適切でなく父が苦しんだこと、そのときのことを残酷なまでに詳細に説明する。適切でなかった処置について裁判まで起こしたがまだ決着がついていないこと。裁判は好んでしたのでない。いっそのこと拳固で殴ればよかった。そうすればよかった、父の面目にためにも。いま自分が許せない。そのためにおれは来たのだと父は言う。おまえの気持ちを静めるために。

最後のところを写すと、

「おれがこの部屋にあらわれたのはおれ自身の意志じゃない、おまえの意志が呼んだんだ、夢のなかでおれに会いたがっていたのはおまえの方だ。さようなら、おれの息子。」

ドアーを叩く音がしてわたしは起こされる。ヴィリア一夕が入ってくる、ちょうど一時間半ですよと。わたしはよるまでたっぷり時間があるからこれから絵を見に行くとペンションを出て行く。停留所までヴィリア一夕と一緒に散歩して。 

国立美術館にはカフェがあり、そこにかつてパリの一流ホテルで働いていたバーテンダーがいた(14.国立美術館のバーテンダー)。かれはお客の無知を嘆き嗤う。「パリはほんとうによかったなあ」。かれはお客だけでなくて同国のバーテンダーについても愚痴を言う。ポルトガル人をけなす。「ドノー街、オペラ座がある界隈です、わたしがいたのは」。ポルトガル人はワインしか飲まないとバーテンダー。わたしはバーテンダーとカクテルとワインについて話を交わす。「ここの人はカクテルが何であるかもわかっていない」、かれの嘆きが続く。パリにいたらよかったのでないかとわたしは訊く。彼はため息をついて「女房の母親が寝ついてしまいましてね、おまけに女房はフランスが好きになれなくて」。「でもできた女ですよ」。ところで「昨日ここに来たのか誰か、当ててごらんなさい」。昨日共和国大統領が美術館を外国の来賓と一緒に訪れて、マネル君、とバーテンダーの名を呼び、彼の作ったカクテルを飲んだ、とバーテンダーはご機嫌に大統領を讃辞し自慢話を始める。「それをあなたにお勧めしたいというわけです」。わたしは緑の窓の夢と名付けられた彼オリジナルのカクテルを飲む。(カクテルの作り方が詳細に記されている)

これはいい、それからね、きみは美術館の警備員と顔なじみかな?「みんなわたしの友だちですよ」。わたしはどうしても見たい絵があるが、閉館まで10分ではどうしようもない、警備員に頼んで1時間延ばしてもらえないだろうか。「やってみましょう」。バーテンダーがもどってきた。「うまくいきました」 

わたしの見たい絵は『聖アントニウスの誘惑』。あの日の午後4人で美術館ですごした日々のことを思い出す。わたしはもどってきた。なにもかも変わった。絵だけがわからずわたしを待っていた。本当にかわらず? 

『誘惑』の前にはひとりの模写画家がいて、イーゼルに立てたキャンバスに絵を描いていた(15.模写画家)。

この模写画家との件(くだり)には「13.若き日の父」と同じくらい長いページがさかれている。それで超訳者Hがここを概説することにした。

模写画家が模写しているのは、ボスの『誘惑』“であると本文にある。これはヒエロニムス・ボス(1450年頃 – 1516年)の『聖アントニウスの誘惑』で制作は1500-05年頃、絵の大きさは135×190cm、リスボン国立美術館に所蔵されている。ネットから取った図は下記の通り。三つの部分からなっている。

レイクイエム_図  

模写画家はこの絵の細部を幅2メートル、高さ1メートルのキャンバスに写している。

彼はもと市役所職員であった。ひらめきもないくせに絵を描くのが好きでたまたまこの絵の中央にいる魚の細密画を描いて、それをレストラン「フォルタレーゼ」に買い取ってもらった。ある日、同じように模写しているとひとりの紳士がやってきてその絵を譲って欲しいという。これは「フォルタレーゼ」のために描いているのだからダメですというと、「その絵はあなたが、テキサスにあるわたしの牧場のために描いたものです」と。その紳士はテキサスにリスボンほどの広さの牧場を持っていて、30の部屋、テニスコートとプールが二つ、それはもうだだっ広い豪邸に住んでいる紳士であった。それ以降彼は市役所職員を辞めてひたすら『誘惑』を模写している。もう十年になる。テキサスの屋敷は『誘惑』で埋め尽くされている。 

この絵は何のために描かれたのか、模写画家はわたしに説明する。「病人はこの絵の前まで巡礼に訪れ、彼らの病を癒してくれる奇跡の訪れを待った」。この絵はリスボンのアントニウス会の病院に掛けられていた、そこは皮膚病患者が収容される施設で、病気の大半は性病と「聖アントニウスの炎」(伝染性の丹毒の一種)だった。後者は周期的に発生するとても恐ろしい病気で大変な痛みを伴う。いまでは学術的に「帯状疱疹」と呼ばれている。「帯状疱疹」と聞いてわたしは心臓の鼓動が激しくなり、汗が噴き出すのを感じる。なぜか、友人のタデウシュが死の当日、わたしに書いた最後のメモに、「なにもかも帯状疱疹のせいだ」とあったから。 

この病気はウイルスによって起こされ、そのウイルスはだれもが持っていて、人体の防御機能が弱まると現れ、すさまじい勢いで襲いかかる。

模写画家が言う。「帯状疱疹というのは、どこか悔恨の気持ちに似ている、わたしたちのなかで眠っていたものがある日にわかに目を覚まし、わたしたちを責めさいなむ、わたしたちがそれを手なずけるすべを身につけることで再び眠りにつくが、けっしてわたしたちのなかから去ることはない、悔恨に対してわたしたちは無力なのです」 

「ぼくはカイス・ド・ソドレーでカスカイ行きの市電に乗ります」と美術館を去る。

わたしのいる車両には車掌(16.鉄道の車掌)とわたしだけ。車掌はクロスワードをしている。空っぽなのでクロスワードができていいですね。「帰りの電車はすし詰めどころでない」。電車が海岸近くを走り始めと車掌はわたしに浜辺を指さした。それは死骸を連ねたような光景だった。見えるのはひとの体だけ。「男も乗れば女も乗る、障害者も乗れば目が不自由な人間も乗る、・・・」。赤ん坊も妊婦もじいちゃんもばあちゃんも、それこそ列車地獄だ、車掌は嘆く。「昔は暑いときは浜など来なかった、いまはだれもが日に焼きたがる、皮膚癌になるかもしれないのに。飲むのはコカコーラ、浜には見渡す限り王冠だらけ」。車掌は車窓から見えるモダンな建物をけなす。おしゃべりは途切れない。わたしの降りるカスカイラが近づいてきた。わたしはあなたとおしゃべりできなかったらどんなに退屈な旅だったか。列車を降りる。 

タクシーに乗って灯台の家に行く。老婦人(17.灯台守の奥さん)が玄関まで出てきて、けげんそうにこちらを見る。大きな家を見せて下さい。「あの離れでしたら閉めています」。離れは嵐で屋根が吹き飛び、二階は全部屋根なしになっている。わたしはなぜここを訊ねに来たか説明する。もうだいぶ前、1年ほどここに住んでいた。物語を書いていたのです。わたしはひとり書き物をしながら、なぜ自分は物を書くのだろうと自問していた。これを書き上げてしまえば、わたしの人生はそれ以前とちがったものになってしまうだろう。この物語は、だれかがあとで自分の人生のなかで真似をして、現実の世界に移し変えてしまうだろう。わたしはそのできそこないの物語をもう一度生きなければならなかった。紙の上の人物は血肉をそなえた存在になった。わたしの物語は日々順を追って進行していった。わたしはかつていた部屋のベッドに横になり、空を見上げる。夜の9時までにリスボンに帰らなければならないのでと、灯台守の奥さんに別れを告げる。イザベルに会うため、である。 

わたしはアレンテージョ会館にくる。大階段をのぼると、ムーア様式の中庭にでた。不思議な美しさのある場所だった。なぜここで待ち合わせしたのか腑に落ちた。さらに進むと読書室が奥に見える。読書室には誰もいなかった。中庭を通り抜け大ホールに入る。わたしはビリヤード室に足を踏み入れる。そこには、ぴっちりとした黒い上着に蝶ネクタイ姿の男が(18.アレンテージョ会館のボーイ長)ひとりで球を撞いていた。六十がらみの小柄な紳士で、あたまは白髪、ひとなつっこい顔に、明るい色の目を光らせ、身ごなしに品があった。ここでわたしはあるひとと待ち合わせをしたのです。これからここに来るひとは、ぼくの追憶の一部なのです。「この場所はうってつけです。この会館にしたところで追憶のひとつにすぎないのですから」。わたしとボーイ長はビリヤードを始める。 

超訳者Hの独り言;

ここでのビリヤードは四球ないし三球と思われる。「近頃はだれもかれもアメリカ式で、たくさん球を使いますが、あれは野暮の骨頂というものです」とあるから。

わたしは自分の状況が難しいことに気がつく。的球がちょうど手球と相手の球のあいだにとまっていたのだ。マッセしか方法がない。マッセは、真上から球を打つ方法。これがうまくいくと手球は相手の球に当たったあと手元に戻ってくる。ただし、ビリヤード台の高価なビロードを破ってしむ危険性がある。ずっと昔、Hは仕事が終わったあと、友人と玉突きをして遊んでいた頃があった。そこのオーナーに素人はけっしてマッセをしないように言われた。 

ボーイ長は五二年物のポルトをこの勝負に賭けようと。わたしは思った。これがとれれば、イザベラは来る。しくじれば、二度と彼女に会うことはないだろう。勝負の前にふたりはポルトを開けて一献かたむける。 

わたしのショットは成功する。 

「あちらでご婦人がお待ちです。イザベル嬢(19.イザベル)とおっしゃる方です」。バーに案内してあげてください、お願いします。ぼくもあとからすぐ行きますから。 

超訳者Hの独り言;

不思議なことに、この物語でイザベルが登場するのは 「あちらでご婦人がお待ちです。イザベル嬢とおっしゃる方です」。“のところだけ。このあとも全く現れない。『レクイエム』は、わたしとイザベルとタデウシュを巡る話がテーマのひとつだと思っていたのに。

わたしはテレイロ・ド・パッソ駅近くの広場にいる。「夜は暑く、夜は長い。物語を聞くには最高です」。男が話しかけてきた。テニスシューズに黄色のポロシャツ姿の、やせっぽちの風来坊。ひげをぞろりと伸ばし、頭はほとんど禿げあがっている。歳はわたしと同じか、少し上くらいだろう(20.物語売り)物語を売るのがこの男の商売、自分でこしらえた物語を売って歩いている。「わたしは実は医者でした。・・。学生の時分から、夜っぴいて物語を書いていました。・・・。自分の患者に嫌気がさしていた。彼らの症状になど興味が持てなくなった。・・・」。作家になりたくて出版社に持ち込むがことごとく断られる。それなら話を聞いてくれるひともいるはずだと物語売りになった。

今夜はなにを聞かせてくれるのかな。「とても感傷的な話がひとつあります。こんな夜にはじんわりきますよ」。今日一日、感傷にはいやというほどひたりました。「それじゃ、からっと楽しいやつ」。それもぞっとしないな。「きれいな話、せつなくて、最後はほろりとさせてくれますよ」。それを聞かせてください。物語売りが物語を語りはじめた。

 わたしはいまレストランにいる。

 ボーイは髪を小さなポニーテールに束ね、ぴっちりとしたズボンを履き、ピンクのシャツを身につけていた(21.マリアジーニャ)。男の子だが、小説では女の子言葉になっている。英語を話す食事相手(22.食事相手)にマリアジーニャが言う。「こちらのお友だちはイギリスの方? イギリス人て耐えられないな,すごくうっとうしいんだもの!」わたしが答える。こちらのお客はイギリス人じゃない。ポルトガル人だ。英語を話すのが好きなだけさ。詩人なんだよ。マリアジーニャは納得して他の客のところに行く。「ひとりぼっちの坊やのお相手をしてあげないと」腰を振り振りテーブルを離れ、ぽつんと隅の席に座っている紳士の世話をやきにいった。

わたしは食事相手とポストモダン、アヴァンギャルド,文学などについて話す。

ワインを飲みながらふたりはヨーロッパの文学について話す。食事相手が言う。「『審判』は今世紀に書かれた,最も勇気に満ちた本だ。その勇気とは、だれもが罪人であると言い切ったことにある。」なにに対する罪ですか。「なにってきみ、生まれてきたことの罪だよ。そして、たぶん、そのあとにつづくすべてに対する罪だ。われわれはひとり残らず罪人なんだよ」 

マリアジーニャが料理について説明。その説明が微に入り細に入りの説明。マリアジーニャが立ち去り、わたしは食事相手に子供時代のことを尋ねる。食事相手は子供時代を語るが、それは省略(全部写す羽目になりそうだから)。 

食事が運ばれてきてふたりは食べ始める。(ここの21.マリアジーニャと22.食事相手のページがとても長い。物語は終わりに近づいている) 

「どうやら疲れがでてきたよ、少しつきあってもらえないかな?」。ふたりは外に出る。「桟橋の端まで行ってみるよ、きみもつきあわないか?」。ええ、もちろん。扉のわきに物乞いがいた。年寄りで,肩からアコーディオンを下げていた(23.アコーディオン弾き)。「神さまのお力で、どうかわたしにお恵みを」。わたしは、最後の一枚の、100エスクード札を渡す。これですっからかんだ。 

食事相手はアコーディオン弾きに『うるわしの瞳よ』を頼む。「少し離れてついて来てくれないか。こちらと話をしなけりゃならないんでね」 

わたしたちは桟橋の端に着いた。「きみと出会ったのはこのベンチだったね。このベンチでお別れを言おう。あの気の毒な老人に、もう行っていいからと伝えてきてくれないか」。わたしはそうする。ふりかえって、はじめてわたしは気づいた。わたしの食事相手はすでに消えていた。 

こんばんは、いや、さようなら、か。だれに、わたしはさようならを告げているのだろう? 自分でもよくわからなかった。ただ,声に出してそう言いたかった。みんな、さようなら。そして、おやすみ。もう一度繰り返した。そして、わたしは頭をうしろに反らせて、月を見上げた。 

 (『レクイエム』はこれで終了。) 

超訳者Hの蛇足;

 タブッキの『他人まかせの自伝』(20115月、岩波書店)には、『レクイエム』に出てくる父との対話のもとになる話がある。父との対話は実際にタブッキが夢に見たことであり、『レクイエム』で語られていることはほとんど夢に見たことそのままのようである。『レクイエム』がなぜポルトガル語で書かれたのか、そしてそれのイタリア語翻訳をなぜタブッキが自ら行わず、親しい友人にゆだねたのか、『他人まかせの自伝』を読むとよく分かる。



Author

早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


アントニオ・タブッキ『レクイエム』を読む」への2件のフィードバック

  1. 奥祐治

    早川博信超訳「レクイエム」を読んで。
    本日読みました。その小説を読んだことが無いのですが、読んだ気になりました。その小説を読めば、人生は今生きている目の前の人達と会話するだけでなく、死者とも気軽に会話を楽しめばよいような気になりました。人と人が通じ合える会話の力は大きいのですが、この作品を読むと、昔好きだった恋人とも会話を楽しもうと本を閉じた瞬間、ほくそ笑む自分を感じ、すぐ次の瞬間には色々と口やかましくも子どもである自分を色々と面倒見てくれた親にも合うのかと複雑でもありました。物語とは読者が生きている時代の人々だけでなく、身近でもあるそしてすでに亡くなった人々との交流を実現してくれるものでもあるかと教えられました。
    誤字かな?・・・・p5「かいてくれるだけかさんはいらないよ」?
         ・・・・p9「高価なビロードを破ってしむ危険」?

    返信
    1. 早川 博信早川 博信 投稿作成者

      まず、誤字のところ;
      1.「かいてくれるだけかさんはいらないよ」は、「ぼくには背中を掻いてくれるだれかさんはいらないよ」。
      (「だれかさん」は「誰かさん」)
      2.「高価なビロードを破ってしむ危険」→「高価なビロードを破ってしまう危険」

      死んだひとや別れたひととなぜ話をしたくなるのか。生じてしまった、気がついたらあった、欠落を持ち続けているからでないだろうか。それらが話すことで埋まるのでないかと思って。愚かなことに違いないが、どうしようもないともいえる。
      超訳でなく是非本文を。とても面白いこと請け合いです!

      返信

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