グレイのこと


母が生前可愛がっていた猫のうちの一匹、グレイが老衰で亡くなった。最後は紙のように軽かった。グレイのことを書き残しておきたい。

 母が亡くなったのは2012年の2月、もう4年が経った。母は膝が壊れてベッドから出られなくたってからも、猫といっしょに離れに住むほうがよかったのだろう、われわれのいる母屋に移ることはなかった。私は毎日三度の食事を離れまで運んでいた。母は、自分が死んだあと猫の世話だけは頼むと、念を押すように何度も繰り返し言っていた。

 母の亡き後、離れは猫だけの家になった。主のいない家で年老いた猫が所在なさげに暮らしているといった様子であった。三匹の猫の名はカーコとグレイとトコ。私は毎日餌をやりトイレの始末もしていたが、三匹はなかなか私になじまなかった。カーコは白の部分が多い白黒のブチ、全身が灰色からグレイと名付けられた小さな雄猫は足に障害があった。トコは黒の部分の多い白黒のブチである。カーコとグレイは姉妹、トコは少し血縁関係が薄かったということだが、詳細はよく分からない。カーコとグレイは寒くなるといつもぴったりとくっついていたが、トコはたいていひとり離れていた。最初にニャーと私にないたのはトコだった。

 グレイはもうだいぶ昔、15年以上前か、獣捕獲用の金属製の足罠を引きずってかえってきた。近所の人にそれを外して貰ったが、しばらくして罠の食い込んだ足の先端が腐ってとれてしまい、それ以降左の後ろ足が短くなった。それでもちゃんと走ったし、高いところに飛び上がることもできた。しかし、グレイの悲運はもうひとつあって、交通事故で大けがをし、顔に鉄板を入れる手術までした。そのころはグレイの親のシロがまだ生きていて、グレイがどこかに行くときはシロはいつもかばうようにして付いて行っていたと家族から聞いた。

2016年になりグレイはものを食べるとき顔を傾けるようになった。あれは片方の歯が悪くなり噛めなくなったからなのかなと妻や娘と話していた。全身灰色だった毛もところどころ抜け落ちて白い地肌が見えるようになった。それでも私が離れの玄関を開けると少し足を跳ね上げながら元気に寄ってきた。 

2016年の3月の半ばごろから離れの廊下の床に血が付いているのをときどき見るようになった。グレイの口の縁に固まって黒ずんだ血が付いていた。

妻が313日のことですと、次のような話をしてくれた。

「あんな噛み方をするのだからもう堅いキャットフードは食べられなくなったのかと思った、それで離れにいたグレイに猫用のシチューを与えたの。食べてくれるか気が気でなかった、おいしそうにいっぱい食べた、ほっとしたし嬉しかった。その後、グレイは外に出て梅の木の下にある水受けの水を飲んだ、洗濯物を干しながら見ていたのだけれど、グレイはなんだか周りをじっと見ていた。すぐ横の排水路にそのまま入っていくのでないかと心配になった、だいぶ前になくなったゴンタも亡くなる前に排水路に入りたがっていたので。それで、すぐに抱えて離れに連れ戻した、とても軽かった。」

私は13日は山岳会の例会山行で大野市の奥の姥ヶ岳に行っていて、遅くに帰宅してこの話を聞いた。 

315日、いつもそうするように私は離れの猫に餌をやりに行った。グレイが猫用の小さな温かい篭の中でじっとしていた。覇気といえばいいのか、生きる力といったもの、それが感じられなかった。これはもう長くないのかも知れないと思った。私はカーゼに水を含ませ口に持って行った。グレイはそれを少しだけなめた。夕方娘が見に行ったら、カーコがグレイと同じ篭に入りぴったりくっついていたという。 

翌朝私が見に行くと同じようにカーコはくっついていたがグレイはもう冷たく堅くなっていた。グレイのおなかは、被さるようにして一晩過ごしたカーコの重さでへこんでいた。グレイは小さな段ボールにぽこっとおさまった。猫が死ぬと必ず埋める場所が我が家にはある。杉が数本ある山の裾の細長い狭いところである。そこに段ボールが隠れるに十分な穴を掘った。私がグレイの入った段ボールを抱え、妻は裏の畑にあった水仙の花と道ばたの青色のヒヤシンスを摘んで、そこに行った。二人でグレイを埋葬した。土を被せて小さな石を載せた。その横に花を供えた。 

「世話をしているときは面倒だと思ったが、死ぬとやはり寂しい」と私が言うと、「世話をしてきたから寂しいんでしょう」と言われた。 

翌日、離れに見に行ったら、カーコはグレイがいた篭の中に昨日と同じようにいた。丸くなってじっとしていた。



Author

早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


グレイのこと」への7件のフィードバック

  1. わたなべたかお(我楽庵)

    グレイの最期の時、カーコが傍にいてやってくれてよかつた。ひとり暮らし老人が寂しくだれにも看取られることなく旅だって行かれる昨今、動物たちの温かさがうれしいです。  「世話をしてきたから寂しいんでしょう」の奥さんの言葉が胸に沁みます。

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  2. 奥祐治

    とても素敵な心に残る文章を読ませて頂きました。小生も猫は大好きです。猫は自由でいいですよね。早川さんが、お母さんにしていたと同じ事(食事をお世話する等)を、猫にもしていたなんて、知りませんでした。グレイは、早川家でとても幸せな生活を送れたことを感謝していると思います。お母さんに、それからその息子の早川さんにも大事にしてもらえ、もちろん夫人や子供たちにも。我が家には犬がいて、小生が飼いはじめたので、ほとんど小生が散歩の相手です。しかしながら、小生は猫も好きで、以前飼ってみたのですが、犬が嫉妬心を起こし、自分の尻尾をかみ切ることになり、もらってきたお寺にまた返す羽目になりました。動物たちにも感情が、大いにあるのを学びました。グレイに感情はあるのですから、ありがとうと言って、眠ったと思います。素敵な猫物語をありがとうございます。

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