前立腺肥大症手術顛末の記


4年ほど前から前立腺肥大症で病院にかかっていた。前立腺肥大症はなかなか面倒な病気である。夜中にしょっちゅう起きなければならない。起きてすぐにまた行きたくなる。全部出ていない気がいつもある。もういやだと思った。薬ではいま以上の改善は望めないと言われ、手術を決心した。これは、かなり恐ろしい目にあった前立腺肥大症手術顛末の記である。

(その原因はすべて自分にあったのだけれど)
4年前、初めて超音波検査で前立腺大きさを見てもらった。通常20gのところが60gあった。その当時から、いずれ切らなければならないでしょうというような意味のことを医師から言われていた。4年間薬を飲んで60gが50gまで小さくなった。これが底であった。

2013年12月16日(手術前日)
10時過ぎに病院に入る。担当医のS先生から手術の説明を聞き、6階の病室へ。昼食時に止血時間のチャックを受ける。耳たぶに小さな傷をつけて血が止まるまでの時間を測定。2分で止まった。手術に問題なしといわれる。3時頃、看護婦さんの指示でシャワーを使って身体を洗う。9時に下剤を飲む。明日は浣腸もあるらしい。

2013年12月17日(手術当日)
昨夜9時から絶食、今朝は7時以降水もだめ。10時半浣腸。少し出る。このあと手術まで病室で点滴を受ける。午後1時前、歩いて手術室に行く。
体の幅ほどのベッドに乗せられる。膝を抱えるようにして腰を曲げ、腰に麻酔、ほとんど痛みがなかった。足が痺れてくる。腹や胸の部分と腰から下の部分で感覚が違うかどうか、冷たいものを当てて調べる。正座して痺れた時みたいな感覚。手術が始まる。

しびれている両足に規則的に圧迫が加わる。血圧の測定が5分毎だときいていたので、腕に圧がかかるたびにその回数を数えて時間の進行を確認していた。手術半ば、S先生が言う。「早川さん、けっこうありますよ」しばらくして、「8割終りました。傷口をきれいにしています」それから30分で終った。途中から内視鏡の画面を見ていた。薄いリング状の金属管が筋肉=前立腺のデッパリを引っ掻いて削り取っていた。表面がなだらかになっていく。余分な部分を削ると同時に止血をしているらしい。剥ぎ取った前立腺は30グラムあった。細かい肉片はすべてがん細胞検査にまわる。2時間の予定が30分延びた。

病室で:
Pの先端からかなり太い管が1本入っている。その1本に三つのバイパスがあり、ひとつは膀胱に生理食塩水を入れるため、もうひとつはそれを出すため。あとの一つは空気抜きだろうか、よくわからない。膀胱の中を洗って出てくる生理食塩水は血が混じっていて赤い。管が突っ込まれているせいで膀胱に不快な尿意がある。不快感が堪えがたく座薬を入れてもらう。

2013年12月18日(手術翌日)
9時過ぎS先生が病室に来てくれる。起き上がっても良いと許可が下りる。なんとか起きられた。一晩中仰向けで寝ていたので非常につらかったが少し楽になる。お昼前、洗浄用の生理食塩水の循環が終わる。循環用の管が取れてあとは尿を出すための管だけになった。ここから出てく尿は薄く赤い色が付いている。上等である。夕方5時前、最後の点滴(抗生物質)が終った。

2013年12月19日(術後2日目)
昨夜のオシッコの量は1000cc、まだ赤い。終日管から薄く色のついた尿が出ていた。

2013年12月20日(術後3日目)
オシッコは大分色が薄くなってきたが、まだ赤い。8時45分、S先生が来室。Pの中に差し込まれていた管を引き抜いてくれる。あっという間、痛む間もなかった。一回目のオシッコ、最初赤いのが出て、次に普通の色、終わりはポトポトとなって再び赤い色。15時、三回目のオシッコ。これまでと同じだった。夕方5時、S先生が来られる。今日の三回のオシッコの様子を伝えると、それなら明日退院してもいいとなる。
この後、翌朝まで6回トイレに行ったがすべて同じような状態だった。

2013年12月21日(退院)
手術4日後に退院となった。オシッコの様子は変わらない。

退院後の経過1(年末まで)
術後2週間経過した年末でもまだ同じような、幾分色は薄くなっていたが、血尿が出ていた。日記を見ると時々色が濃くなっていた時もあったようである。

退院後の経過2(年が明けてから);

2014年の新年を迎えてから1月8日の大量出血までの経過。
1月1日から3日まで。オシッコの色はほとんどなかったり少し赤くなったりしていた。3日の日記には、「朝はほとんど透明で、そのあと2回ほどきれいなのが続いた後、また赤くなった。もういい加減にしてくれと、立腹状態である」と書いてある。

2014年1月4日
3日の夜の4回の小用のうち、2回目の時小さな赤黒い切れ端のようなものが出て、その時は出始めは赤いがすぐに薄くなった。朝の最初のオシッコでも同じような切れ端が出た。瘡蓋と書いている。

2014年1月5日
瘡蓋が3回、オシッコの度に出た。その時は、出始めが赤いオシッコも薄くなって出終わる。この日の夕方6km歩く。

2014年1月6日
5日の夜3回いったトイレはすべてきれいだった。朝の最初もきれいだった。よしこれで完治かと思っていたら、午後、こたつで1時間以上テープ起こしをしていった後のオシッコがまた赤くがっくりくる。

2014年1月7日
この日6km歩く。「オシッコはまだ完全に真っ白でない。なかなかで、がっくりくる」と日記にある。

2014年1月8日
午後2時、尿意を催してトイレに飛んではいる。今まで見たこともないような大きな瘡蓋が出る。長さ5,6cm、幅2,3cm。ベロンとはがれて出てきたように見えた。午後4時過ぎ、それほど大きくはなかったが、再び瘡蓋。夕方5時、勢いよく瘡蓋が出る。真っ赤な血尿。後から考えると、この時点で出血は止まらずに続いていたと思われる。

夕飯前、風呂に入る。流し場で大量の、実に大量の瘡蓋が出る。一瞬、Pの先端で詰まるようになったので、勢いをかけて尿と一緒に押し出す。風呂場の流しが真っ赤になった。恐ろしいほどの大量の瘡蓋だった。あんなにたくさんのものが中にあったのかと思うと、ぞっとした。この後、何も知らず、風呂に入り体を洗い出てから夕飯もとった。

風呂を出て晩御飯をすませたが、尿意はあるのに出るのは水滴状の鮮血だけ。異常を感じて娘に乗せてもらって小浜病院へ。救急に行く。急患で入ったがなかなか診てもらえない。尿意は猛烈にあるのでトイレに駆け込むがほとんど出ない。ポタポタと滴り落ちる程度。出したいので先端を振ると鮮血が便器のあちこちを汚した。

20分ほどたってやっと泌尿器科の医師が救急治療室に来てくれる。

早く管を入れて膀胱の中の尿や血糊を出してほしいのになかなか刺さらない。19mmから始まって22mmまで金属の棒でPの先端を広げてやっとプラスチックの管がはいった。どっとたまっていたものが流れ出た。その時の楽さ加減ってなかった。

大きな注射器に洗浄液を入れ、それをプラスチックの管を通じて膀胱に入れる。その液を吸い出す。これを何回も繰り返す。血が止まっていれば液はだんだんきれいになるのだがそうならない。生理食塩水の循環液を膀胱に入れて今夜一晩流すことになった。6階の病室に再び入る。

2014年1月9日(再手術の日)
どこか動脈(髪の毛ほどの細さ)から出血が続いているようなので、それを止めるために再度の手術となる。昨晩病院に走った時の苦しさはなかった。あんなのが再び起こるのは耐え難い。午後1時からの手術となった。3週間前は肥大した前立腺を削るのと止血と、その両方を行う手術だったが、今回は止血だけのために行う手術である。

最初は膀胱の中の洗浄から始まったようだ。血や血の塊がだいぶ(これは3人いる泌尿器科の医師のうちの一人の女医の話)あったようで、「洗浄液を入れて洗っています」と術中に説明があった。途中、「まだですか?」と訊くと「せっかく麻酔をしたのだから」と執刀医の先生。なるほどと思った。 “せっかく麻酔をしたのだから”は、たしかにお医者さんの言葉である。残るところがないようにと丁寧に止血しているのだろうと、思った。麻酔の時間も入れて1時間足らずで手術は終わった。

効果は術後にすぐに現れた。Pの先に突っ込まれた管から出るオシッコ+洗浄液に術後直ぐなのにほとんど色がついていない。前回の時は翌朝まで赤かったのに。

2014年1月10日(再手術2日目)
朝9時にS先生が病室に来られる。「この色なら循環洗浄液をとりましょう。オシッコだけで様子を見て、良ければ管を抜きます」午後2時、管を抜いてもらう。ほとんど色がついていない。嬉しい。何度もトイレに行ったが、オシッコに色がついていない。ありがたい、もうこれで大丈夫だと思う。あんな怖い目に二度と会いたくない。思い出してもゾッとする。

2014年1月11日(退院)
朝のオシッコ、本当にきれいだった。10時過ぎS先生、退院の許可がでる。家で注意すべきことを聞く。本来の瘡蓋なら直ぐにオシッコはきれいになる。いつまでも血尿なら出血しているのだから来るようにと。もうそんなことは起こらない気がする。願望でなくて確信、間違いないと思う。昼食を病院でとる。2時半すこし前、娘が妻と一緒に迎えに来てくれたので、帰りは自分で運転して帰宅した。3泊4日の入院だった。学んだこと、自分に都合の良い方に解釈しないこと、知識がああまいでないこと。高い授業料だったが学んだことは大きかった。1月21日から海外旅行の予定だったが取りやめる。あのようなことが旅行中に起こっていたらと思うと背筋が寒くなる。この程度で済んで本当によかった。

後日談;
以下のようなことを書くとは思っていなかった。
2014年2月17日
数日前から頻尿で20日からの旅行に差し障りそうなので、時間毎に出る量を量って記録していた。診察時の参考データのつもりであった。2月16日は朝の6時から計量を始め、そのときは200ccだった。以下、夜の10時40分まで1時間半ないし2時間毎に100ccから200cc。合計回数9回、出た尿は1190cc。2月17日になってからは(夜中も行くたびに計っていた)、頻度がさらに増し、午前0時から午前11時まで8回、計800cc。11時過ぎにコーヒーを飲み、このときは1時間に3回、計380ccだった。
16日からのオッシコの出る様子は、最初、ちょろちょろと出て、終わり間際もちょろちょろ。何とも情けない勢いである。術後の元気な流れ・ほとばしりではなかった。午後も、1時間ないし2時間おきに行った。夜の6時45分に130cc出た後は、尿意があるのにでない。これはおかしいと、娘の車で小浜病院の急患に走った。超音波検査で膀胱には100ccほどたまっていると言われ、看護婦さんが管を入れようとするが入らない。専門の先生に来てもらいますと、再び泌尿器科の先生のお世話になった。
前と同じようにPの中の尿道に金属の棒をいれ、それででこじ開け、なんとか尿が出た。原因はよく分からないが、なにか薄い膜のようなものが尿道にできて、それがふたをしたのでないかと。いま、広げたから少し水を飲んでそれが自力ででるようなら帰宅してもかまわないと言われ、ポカリスエット150ccを飲む。しばらくすると尿意が来て、出た。15分後にも、同じように、出た。
急患の部屋にいても何もすることがないから帰った方がいいと言われ、タクシーに乗って帰宅した。

頻尿だったのは、詰まる前兆だったのでしょうと言う意味のことを医者から言われた。これには納得したが、なぜ詰まるようなことになったのか、再発はないのか、19日に診察してもらうのでよく訊かなければならない。 
2月12日に山(三十三間山)に行ったとき、下でオシッコ、2時間半後に頂上でオシッコ、1時間後に下山して、またオシッコと、この頃から頻尿になったような気もする。

 前立腺肥大症を軽く考えていたが、どうもそうでないことだけは分かった。
 何とも情けない後日談である。



Author

早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>