2013年9月12日;311の会 公開学習会(第2回報告)


2013年9月12日;311の会 公開学習会(第2回報告)「福島原発事故はなぜ起こったのか、今、現場はどうなっているのか」(第2回)

参加者は10名。講師の近畿大学原子力研究所の杉山さん作成の資料に従って説明を聞く。今回は前回の続きから始まった。場所:おおい町名田庄、里山文化交流センター「ぶらっと」日時:2013年9月12日、午後7時半~10時

以下、講師の先生の説明を自分なりに理解して報告します。

説明部文の責任は報告者にあります。

1.「原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書

 -東京電力福島原子力発電所の事故について-」

 この報告書は、平成23年6月(事故から3ヶ月後)に、内閣総理大臣を本部長とする原子力災害対策本部名で出されている報告書である。

一部を引用すると、

「我がにとっては、この地震と津波による大規模な災害への対応とともに、その地震と津波により引き起こされた原子力事故への対応も同時に行わなければならないという極めて厳しい事態となった。」

ここで「地震と津波により引き起こされた原子力事故」とあるが、これはつまり、全交流電源喪失が起こった、ということである。地震と津波の結果全電源喪失が起こり原子力事故が生じた、のであり、地震と津波以外で全交流電源喪失がおこれば同様の事故は起こりうることを意味している。

また、次に、

「この原子力事故は、我が国にとって大きな試練となり、世界各国の支援を受けつつ、国内の数多くの関係機関が一体となって対応に取り組んでいるところである。また、我が国は、この事故が世界の原子力発電の安全性に懸念をもたらす結果となったことを重く受け止め反省している。そして、何よりも事故の発生によって、世界の人々に放射性物質の放出について不安を与える結果になったことを心からお詫びする。」

「世界の人々に放射性物質の放出について不安を与える結果」とある。これは日本国民が理解すべきことである。

2.「国際原子力機関に対する日本国政府の追加報告書-東京電力福島原子力発電所の事故について-(第2報)」 (平成23年9月 原子力災害対策本部)

 この報告書は9月11日に出ている。

 そこには、

 「我が国は、この事故について、高い透明性をもって情報を公開することを基本としており、本追加報告書の作成に当たっても、事実関係を正確に記載すること、事故への対応をできるだけ厳しく客観的に評価することに留意した。」

 「高い透明性をもって情報を公開することを基本としており」とあり、これは厳密に守られるべきことである。

 また、

 「福島第一原子力発電所では、地震発生後、緊急時対応に指名されていた要員は確保できていたが、複数プラント同時被災という事態に対し、様々な対応を行う必要があった。発電所内の通信手段は、津波の襲来による全交流電源喪失の結果、所内PHSが使用不能となるなど、極めて限定される状態となった。各プラントの状況を把握する緊急時対応情報表示システム(SPDS)が使用不能となり、緊急対策本部では対策の立案に支障を来す状況となった。」

 ここで注意すべきは、「福島第一原子力発電所では、地震発生後、緊急時対応に指名されていた要員は確保できていたが、複数プラント同時被災という事態に対し、様々な対応を行う必要があった。」

 F1では要員は確保できていたが、複数のプラントが同時に被災して、とあり、後半部の「複数プラント同時被災」があまり知られていないが、F1以外でも「様々な対応を行う必要があった」のである。

 さっきの説明と重なるが、全交流電源喪失の結果、事故になった。これが一番重要なこと。

 さらに、

 「電源設備の被害状況を踏まえ、東京電力では、11日夕方から、電源確保のため全店の電源車を福島第一原子力発電所に向けて出発させたが、道路被害や渋滞により思うように進めなかった。自衛隊による電源車の空輸も検討されたが重量オーバーにより実現できなかった。このような状況の下、12日未明までに確保できた電源車を利用し、暗闇、断続的に発生する強い余震、継続する大津波警報、津波による水たまり、障害物の散乱、高い空間線量等の务悪な作業環境の中で、所員が電源復旧に向けケーブル敷設等の作業に取り組んだ。」

 ここを読むと、当時のF1での様子がよく分かる。特に最期の、「・・・等の务悪な作業環境の中で、所員が電源復旧に向けケーブル敷設等の作業に取り組んだ。」ことは忘れるべきでない。

 以下は、講師の杉山さんの資料からの引用です。

 まとめ

1.事故の原因

 地震および津波が原因となり長時間の全交流電源喪失(Station Black-out)が発生したため。

2.強化が必要なポイント

 (1)全交流電源喪失時の対策

 (2)水密構造の対策

 (3)同時に複数の原子炉の被災

 (1)については、施設設備の他、人的なもの、運転やメンテナンスも含まれるという説明でした。

APOLLO13の事故

1970年4月11日13時13分、月面着陸をミッションとして打上げられた。しかし、3日後の4月13日、司令船が爆発した。

プロジェクトに関わった全員の努力により、打ち上げから7日後に無事帰還した。

この事故からもNASAは、もっとも大切なものを再認識した。

眼に見えない物事が最も重要である。

 APOLLO13号の事故の教訓

技術的なアクシデントマネジメント(安全策)が確実に実施された世界初の事例と言われている。

宇宙飛行士に対し、訓練したことのない操作並びに作業をNASAからの音声指示だけで実施させる。

宇宙飛行士達はNASAからの音声指示並びに自らの技術を信頼し、それを実施した。

I don’t care what anything was designed to do.

I care about what it can do.

(何がデザインされたかはどうでもいい。

 何が使えるかを考えること)

杉山さんの基本的立場は、現場で働いている人たちが安全に働けること、そのことである。

事故の収束はいま現にF1にいる人たちでしか為しえないからである。



Author

早川 博信

早川 博信

 

一念発起のホームページ開設です。なぜか、プロフィールにその詳細があります。カテゴリは様々ですが、楽しんでもらえればハッピーです。


2013年9月12日;311の会 公開学習会(第2回報告)」への2件のフィードバック

  1. 渡利與一郎(わたりよいちろう)

    早川様。
    以前、アポも取らず訪れて失礼しました。「福福ネット」(福島と福井の人的交流を通して原発問題などを考える会)を実質運営し、過去数回嶺南に於いて原発を知る集会を講演会形式などにより上意下達的に実施しましたが、対話の重要性に思い至り、前回ご案内の「巡回カフェ」を開きました。私(=「これ」と以後言いますのであしからず)は登山を趣味にし、素人ですが生き方を哲学と仏教に学んでいます。3・11時福島に駆け付けたのも、これ流の生き方表現です。多聞の会のホームページやご本(旅行鞄はいつもリュックサック)を読み、これとは井目の違いこそあれ、これも「人間が死ぬとはどういうことか」との問いを長年持ってしまった存在であるなど、共通項多く(独断お詫びいたします)参考になること多々あり、ご指導を乞う次第です。
    ご本から啓発され、恥を掻かぬよう維摩経にも目を通しています。当方癌につき手術や残余の時間も考慮し、再度唐突で失礼な謂いですが、ご都合が付けば来週あたりに一度お会いいただけないでしょうか。何れにしろ、ご連絡いただければ幸いです。
    渡利拝

    返信
    1. 早川 博信早川 博信 投稿作成者

      丁重なコメント、誠にありがとうございます。興味を持っていただいたことに感謝します。331の会は少人数の会ですが、このまま長く続きそうです。

      返信

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