名田庄の家を6時前に家を出て、敦賀から栃の木峠を経由して今庄駅に。集合時間が8時だったが、7時半に着いた。駐車場で福井からの山岳会のみんなを待っていたら、見知らぬ方から声がかかり、「えっと、・・さん」「早川です」。私のブログを見ている人だった。びっくりした。「最近あまり更新されていないですね」。ということは、よく見てくれているのだ、嬉しくなる。「エベレストBCトレッキングの記事はとても良かったです」
その人たちは4人で藤倉山からそのまま北西に延びる尾根をホノケ山の方に行き、なんとか峠から下りる予定だと聞いた。
我々のメンバーは、K田、K林、HD、Y原、KT。最初登山口のお寺を間違えてもたもたしていて、歩き始めは8時半になった。お寺の直ぐ横まであがり(オウレン畑の看板がある)、そこでスノシュー(4人)とかんじき(2人)を付けて、杉林の斜面をあがる。私はかんじき派だった。
25分で燧ヶ城址(愛宕山)につく。右下に今庄の町が見える。雪の町の家並みが美しい。
気温は低く足はあまり沈まない。最初の鉄塔に向けて、ちょっと急な斜面を頑張る。どうしても遅れてしまう。遅くともついて行ければ良いかと思いながら歩く。最初の鉄塔9時45分。
この先になんと、乾燥状態のナメコがあったのだ、それも一本でなく数本の木に。私は秋にたっぷり取ってまだ冷凍保存されたのがたくさんあり、余裕でみんなに譲る。
第二の鉄塔まで、急な斜面が続き、ここを過ぎると藤倉山が近くなる。第二の鉄塔から藤倉山までのブナ林のきれいだったこと、新雪の上、零下の気温で霧氷がついたままの状態にある。青空ものぞきはじめ、来て良かったとつくづく思った。
藤倉山への最後の登りを頑張って、10時50分到着。山頂には大きな反射板がある。朝食の時間が早かったので、11時前だが昼食にする。山頂の風を避けて少し下がったところで、銘々、得意の弁当が始まる(それぞれ、ひと講釈があるのですね、なぜこの弁当が良いのかと)。昼食を終えて少し下がった鞍部のブナ林で集合写真を撮る。
鍋倉山に向けて歩き始める。少しだけ平坦な尾根を行き、そのあと北東に下るのだが、ここの傾斜の厳しいこと。スノシュー組は大変だ、特にテールの長いのはそのままずって行きそうで苦労されていた。
200mほど下がり、今度は鍋倉山への登りが70mほどあった。12時20分到着。
このあと、のんびり歩いていたが、再び、最後の登りとなり、八十八ヶ所(弘法寺)になんとか着いたのが1時15分だった。石の仏さん(観音さんか)が顔の一部を出して全身菰に覆われて立っておられた。
NHKやその他の放送局のアンテナがあるところ(ここに三角点があるらしいが雪で見つからない)で、今日の一日を振り返り、ちょっとおいしいものを食べ、一気に下った。もう登りはなく、下の「八十八箇所登山口」に14時に着き、駅まで歩いて(まあまあかかった)、終了となった。
帰りに三方の「きららの湯」に入った。一日遊んで、風呂に入り、家に帰り、ご飯をいただく、こんなHappyなことはない。
H川さん、お疲れさまでした。敦賀のnaojiroと申します。
今庄駅では不躾に大先輩に話しかけてしまい失礼いたしました。登山準備をされている方のお顔を見たらすぐにHさんだと分かりました。先行されたはずなのにトレースがなかったので、コースを変更されたのかと思っていましたが‥。
思わぬナメコが採取出来てよかったですね。我々も採取に余念がなく、昼食にバター炒めで美味しくいただいたのでした。
霧中の幻想的なブナ林の霧氷に感激いたしました。素晴らしかったですね。稜線からの鍋倉分岐は急峻で大変だったと思います。
ホノケ山手前のP698まで霧氷のブナ林の散策ができました。その後、山中峠まで自然林の尾根を下りました。
この稜線一帯(藤倉~P698)には藤倉山風力発電計画が着々と進行しています。数年後には壮麗なブナ林が伐採されてしまうことでしょう。残念でなりません。
我々の記録は明日ぐらいにヤマレコにアップできると思います。また暇つぶしにご笑覧ください。
小生のブログを読んでくれている人がどこかにおられるのは、本当に励みになります。ありがとうございます。
藤倉山風力発電計画のことは知りませんでした。聞いただけで情けなくなります。残念なこと、極まりなし!
ナメコは採られたあとが有り、我々も残りをたっぷりいただきました。
またどこかでご一緒できれば。
ヤマレコの記録、拝見します。
H川さん こんにちは
駅でお話しさせて頂いた者です。今庄宿の北国街道を先に進まれたので、てっきり尾根末端の稲荷神社からのルートを選択されるのか・・・と思っておりましたが、そうではなかったようですね。すぐに追いつかれるかと思っておりましたが、なかなかいらっしゃらないので、果たしてどのルートを選択されたのだろうか・・・とnaojiroさんとも話しておりました。
私たちの レコにも書いておりますが、三人分のトレースの後でもしんがりを歩くnaojiroさんはワカンで踏み抜きまくっていたようですが、果たしてトレースがお役に立ちましたでしょうか?
お写真を拝見すると第一鉄塔では既にギリギリ雲の下で、すぐに霧の中に入ったのですが、わずかな時間差の間にも雲が急速に上がっていったようですね。同じ日に素晴らしいブナの霧氷を目にする機会を共有できたことを嬉しく思います。
話は変わりますが、以前は新調クレスト・ブックスはよく読んだのですが、仕事のせいか数年前から眼精疲労がきつくなり、以来、読書と遠ざかっておりました。イアン・マキューアンは「贖罪」を読んだだけですが、「恋するアダム」を読んでみたいと思います。勿論「クララとお日さま」も・・・最近、ふと「嵐ヶ丘」を思い出し、読み返したいと思っていたところでもありましたので。
先日のとりつきは、何度も行っているところなのに、みんな間違えて、もたもたして結局、皆さまの後を途中まで追うことになりました。情けない次第です。(ナメコをとられたあとも分かりました。)楽に歩けました。ありがとうございました。
新潮クレストブックは、良いのを選んでくれるので、比較的当たり外れがなく、楽に手に取ることができます。
マキューアンのほか、ポール・オースターも愛読書のひとつです。それから古い人で「アントニオ・タブッキ」なども。
http://hayakawa-tobe.net/?p=1011
アントニオ・タブッキの名前を他の人から聞くことがあるとは思いませんでした。
私がタブッキを最初に知ったのはジャン・ユーグ・アングラードが素晴らしい演技を見せたインド夜想曲の映画を見て、その原作を読みたくなったからでした。以来、彼の作品は邦訳で入手可能なものは全て集めて、読み耽ることになりました・・・と書いて「夢のなかの夢」を読んでいなかったことに気がつき、久しぶりにタブッキを手にとってみようと思います。
レクイエムはタブッキの本の中でもとりわけ素晴らしい作品で、また作品を彩るポルトガル料理の数々がなんとも美味しそうで、そのお陰でポルトガル料理にハマることになりました。かつては大阪のアメリカ領事館の隣に美味しいポルトガル料理の店があったのですが、もう10年ほど前に閉店してしまったのが残念でなりません。
タブッキも亡くなってもうすぐ10年が経ちますね。
naojiroさんと同様、またどこかの山でお会い出来ることを切望しております。
タブッキの愛読者でしたか。しかもかなりの。奇遇ですね。時々、こんなことが起こります。田舎住まいで、「インド夜想曲」の映画は見ていません。