母が住んでいた離れには二部屋あって手前が図書室、短い廊下の奥が母の部屋であった。図書室を作ったころは本は本棚にきれいに並べられ、そこはそれはちゃんとした図書室であったが、そのうち家の中であふれてきた本の置き場所になり、段ボールが運び込まれ、それらが床にところ狭しと積み置かれ、部屋は物置然となってきた。時々帰省する娘から「これでは本がかわいそうだ、よくないよ」などと言われ、整理することが長年の懸案事項であった。
文学書や哲学書で読みたくて買ったのに手が付けてないものや、いまでは古くなった自然科学系の本や、文庫本や新書版など、これらは忍びないけれどリサイクル、つまり再生紙として出すしかないと思い、小浜市の焼却場の裏に置かれている昔の貨物列車の車両のようなところに捨てようと決心した。何度も何度も運んで捨てた。新聞は踏むな、本は跨ぐなと教えられた世代なのに、古新聞扱いで捨てていくのにそれほど抵抗がなかった。
書物の神聖性よりも金銭性。よくもこれだけ買ってきたと思う。何も思わず。あの当時はほしかったのだ。積読もけっこうあるが、それらは整理の名のもとに捨てた。
それでは、残した本は、その選択基準は。
ちょっと脇道にそれて話もややこしくなるがこのことについて書き残しておく。
整理された本が棚に並んでいる。それを誰かが見る。Hはこんな本を読んで老いていったのか、こんなことに興味があったのか、これらから何を学んだのだろうか、とか、いろいろ、いろいろ。後世のものが(大抵は家族だろう)そう思ってくれるような、そんな本を残そうと思った。
しかし、これは、(唐突だが)、永井均のいう“平板でのっぺりした通常の相対主義的世界観”を基盤にした選択である。この選択の根底には、Hの死後、誰かが棚に並んだ本に興味を示し、そうしてくれることでHの人生に関心を寄せてくれるだろうことに期待をよせているのがある。そんなのがはっきりと見える。
そういう風に今Hが思っていることがまずは肝心なこと、検討すべきことだと思う。
ここでいう“平板でのっぺりした通常の相対主義的世界観”とは、以前にこのブログに書いたように、誰かが生まれる前から、あるいは誰かが死んだ後でも、そこには確固たる世界があって、そこに生まれ、そこで死んでいく。用意された、準備された舞台に登場していつかそこから去って行く。これは、誰かが生まれるとか、誰かが死ぬとかで揺らぐような世界ではない。いたって常識的、正常な世界観である。
しかし、このような世界観ではうまく死を受け入れられなかったから(もう少し正確に言うと平板な世界観以外の世界観があるとは全く知らなかったのであるが)、60歳前からなんとか取り組んでいた素人哲学勉強でそうでない世界観があることを教えられ、それなら死のことはこれまでとは別の解決方法があり得るとの思いに至った。
そうでない世界観とは、世界から見られるのでなく、世界を見るのである。見るのが世界を開くのと即であるような世界観。世界観といってしまうと静止的なので「観」ではなく、世界理解といった方が近い。
そこはまだことばのない世界なので、ことばを必要としない世界なので、だれもいない。しかし、そこに長くとどまることはできない。やがて時間が現れひと(=他人)が現れ、少なくともHは人の世に入り、「一生」というような形を取っているのに気づく。それは任意の時に起こりうる。始まりなき一生、終わりなき一生。
このような「今」しかない世界理解の仕方と後世に何かを期待しているのとは矛盾しているように思うが、しかし、この矛盾をどうして良いのか分からないので、ともかく本は本棚に、ということで整理することにした。
本を整理するのだからそのほとんどは昔読んだ本である。順不同に、森有正、北杜夫、井上光晴、野坂昭如、井上ひさし、五木寛之、安部公房、丸谷才一、宮沢賢治の全集、埴谷雄高の全集など。太宰や漱石もあるにはある。吉本も世間並みに読みかじっていた。特に親鸞や浄土経関係のものを。遅れてきた読者のごくごく平凡な貧相な読書体験である。
近くでは村上春樹と、高村薫。この二人は全部読むことに決めているのでほとんどある。
仏教のものも玉石混淆だが多い。
恩師の橋本芳契先生の本は博士論文も含めてすべて、棚の上段に並べた。
ここ10数年お世話になっている、大森荘蔵や中島義道や永井均らのものは、きれいになりつつある図書室の奥の棚に入れた。
自然科学やコンピューター関係のものは懐かしかったがすべて捨てた。コンピューターではゼロ・イチだけでなぜandやorやequalやプラやマイナスの操作ができるのか、その時は感心して理解していたのを本を見て思い出した。
『白鯨』、『チボー家の人々』、『星の王子さま』。これらからは、高等学校から大学、二年だけいた大学院の頃の10年近くの悪戦苦闘が鮮明に立ち上ってくる。フーリエ変換すると波の成分が波長毎に現れるように、この頃の波の中にも喜びは確かにあった。
昔話ばかりではあまり様にならない。
開高健の大判の「オーパ-!」は今でもどんと目立ってある。
開高健の文庫本があった。
開高健VS島地勝彦『水の上を歩く -酒場でジョーク十番勝負』(集英社文庫、1993年1月)
二人は酒場で一献傾けながら、丁々発止のジョークを繰り出す。島地はどうやらこの場に来るのに十分準備して、あちこちで収集したネタを持って登場し、一方開高はこれまで蓄えたネタでちょこっとジャブをうつ。これがよく効くのである。下ネタや政治ネタや文化的差異ネタや、いろいろ。すべてが鋭く辛辣である。二人の笑い声が聞こえる。それが十話もあるのである。大サービスというしかない。時に声を出して笑った。誰もいないところで読んでいてよかった。十番勝負が終わって文庫の後書きが、島地勝彦の開高健追悼文だった。泣きそうになった。
この本を買った頃は(20年以上前)、永井均の言う〈私〉をキーワードにした非平板的世界理解のことは何も知らなかったし、ジョークにただ笑っていた。まちがいない。今再び、遠い昔になしたような、そんな気分に戻った時間だった。
もうひとつ、開高健『珠玉』(文藝春秋、1990年2月)
三つの短編からなる小説。三話にそれぞれ物語の核になる宝石が出てくる。開高健の遺作になった。
第Ⅰ話は「掌(て)のなかの海」、出てくる宝石はアクアマリン。
スカイダイビングの息子を亡くした高田先生は週に一度東京に出てきて息子の消息を訊ね歩くが誰も知らない。作家は高田先生と酒場であい親しくなる。高田先生は息子の消息を訊ねるのを止めて船医になって世界中を巡る。文房清玩(ブンボウセイガン)といって昔の中国の文人は硯や筆や紙を一人で愛でる楽しみを持つというが高田先生はそれが石、アクアマリンになる。世界中の港に停泊する毎に石を買い、集める。ある日、作家は久しぶりの航海から帰ってきた先生と昔の酒場であう。先生は私の下宿に来ないかと誘う。電気を消しローソクの光の中で石は海になった。
「文房清玩とはいい言葉ですね」
「さびしいですが、私は」
先生ははばかることなく声をふるわせて泣きつづけた。
第Ⅱ話は「玩物喪志」、出てくる宝石はガーネット。
渋谷の中国料理店の店主の李文明氏はいまは暇なときのようで、作家の雑談の相手をしてくれる。料理の腕は確かで日本語は堪能。幼いときに日本に来たと思われるが詳しいことは訊かない。ある夜、痩せこけた骨と皮だけと言ってよい初老の中国人が店に入ってくる。名は帳源徳、見るからに元気がなく大きなため息をついている。とてもよく流行るラーメン店をやっているがそこのコックと麻雀をして店までとられてしまった。勝てばまた取り戻せると言っている。
後日、作家は書きたいものがあるのだけれど書けないなどと李氏相手に話していると「良いものがある」と李氏はよれよれのトイレットペーパにつつまれた古綿を差し出す。その中には深紅の長方形の石があった。ガーネット。この石がかつてのベトナムの記憶を呼び覚ます。作家は戦場とサイゴンでの若いベトコンの処刑場面を鮮明に思い出す。
ここは読んでいて本当に恐ろしかった。ベトナムを実際に見た人と見なかった人の差はどれほどなのだろか。パリで暮らすこと75年、それなのに一度もセーヌ川を見たこともない老人の話もある。ガーネットがらみで『東方見聞録』やガルシア・マルケスが出てくる。帳源徳のラーメン店はどうなったのか、これもちゃんとあとに出てくる。
第Ⅲ話は「一滴の光」、出てくる宝石はムーン・ストーン。
『石イロイロ。ゴキゲンの店』、小学生の落書きめいた張り紙がある。店に入る。青年が店番をしている。彼は、どこか拗ねたような気弱そうな、背は高いが胸も腰も弱い。作家は訊ねる。
「アクワマリンは?」
「ございません」
「ガーネットは?」
「ございません、それも。ムーン・ストーンならございますよ」大きな石なのに安かった。青年の説明では月の盈虧(みちかけ)で石の輝きが変わるのだという。このあと話の中心になるのは新聞社の家庭部で働く若い女性、阿佐緒。彼女との深い情交は時と場所を変え語られるが、読んでいて石とうまく結びつかない。二人で奥深い山奥の秘境の秘湯で、様々に過ごすが作家はやがて阿佐緒が自分から去っていくことを知っている。彼女の何がムーン・ストーンだったのか。肉体だけではないだろう。
俗に言う、終活、書籍について始まったわけですね。
一部でしょうが、直、焼却炉行きは悲しいね。
古書店に売るとか、バザーかフリーマーケットのようなところで、ただ同然に売るとかできないものだったか。
また、中古本のネットで価格を調べ、ネットに出品できなかったものか。
神保町の古書店街で一番安い店で、本の内容は問わず文庫本が2冊で100円、この店は一軒だけである。
それでも売れなかったら焼却炉行きになるのだろう。
他の店はワゴンで一冊100円以上で売られている。店内には内容により数百円以上のものもある。
今はないけど、市立図書館に不用になった本を自由において、読みたい人はその本を自由に持って行くことができるコーナーがあった。
古書店で全集などがあらたに売りに出されていると、持ち主が亡くなってしまったのかと思う。
同世代が売りに出した書籍と思われるのもある。
古本になって、次に読まれることは本にとっては嬉しいことではないだろうか。
小生、パートの勤務先が神保町なので、一寸詳しい。
さて、小生の持っている本はどうなるのか。
古い戸建ての家に住んでいるわけではないので、そのまま家に残ることはあり得ない。
残念ながら、再生資源としてごみ捨て場に置かれることになるのだろう。
古本としてそれなりの価格になるのがあると思っているのだが。
子供が孫がどう判断するのかそれに任せるしかない。
私が読んだ領域の本を子供、孫に読ませるの無理だろう。
何せ戦後から抜け出せない小生が購入した本だから。
また、読んでない本もあるので、読んでから逝きたいと思うのだが、つい新しいのを買ってしまうこともある。
読んだはずなのに記憶が定かでないものもある。
多量にあるわけではないので「後は野となれ山となれ」とも思ってもいる。
目録くらい作っておこうか。
段ボール箱一つで百円程度では、売る気が失せてしまう。売りたいと思っているのは依然としてあるのだけだけれど。
たしかに持って行ったところは焼却炉だったが、そこの裏には古本・再生紙専用の貨車が置いてあって、そこに放り込んだので、紙の形で再び世の中に出てくるのでないかと思っているよ。捨てるのも、なかなか悪くはない。なんだかすべてリセットされるみたいで。
捨てるのと残すのとの基準は難しかった。自然科学系は古くなるだけで絶対に読み返すことはないので、よほどの思い出のあるもの以外はすべて捨てた。
いろいろ考えるのにお世話になったのは残した。この本を読んだときはこんな思いでいた、とか、この本から先に行ったような気がするとか、片付けていて少々感傷にふける。これも心地よかった。
二部屋ある「離れ」に整理して残しておき、後はどうにでもして、といったところ。
>段ボール箱一つで百円程度では、売る気が失せてしまう。売りたいと思っているのは依然として
>あるのだけだけれど。
神保町で一冊100円で売っているのはそのような本でしょう。
一箱100円でも、読んでくれる人がいればそれでもいいと思いますよ。
田舎に住んでいた時代、書店で岩波文庫はわずかしかなく、もっぱら読んでいたのは角川文庫、新潮文庫でしたが、神保町の古本店で売られているのは岩波文庫が多い。
>たしかに持って行ったところは焼却炉だったが、そこの裏には古本・再生紙専用の貨車が置いて
>あって、そこに放り込んだので、紙の形で再び世の中に出てくるのでないかと思っているよ。捨て
>るのも、なかなか悪くはない。なんだかすべてリセットされるみたいで。
再生するのはよしとしますが、本は単なる紙なのか、貴兄もそうではないと考えているでしょう。
>捨てるのと残すのとの基準は難しかった。自然科学系は古くなるだけで絶対に読み返すことはな>いので、よほどの思い出のあるもの以外はすべて捨てた。
工業化学関連は知らんぷりして前の会社に置いてきました。もう廃棄されてるでしょうが。
また、化学関連以外で一部廃棄したことがあります。
その中でネットで2千円くらいで売られているのがあり、もったいなかったかなと思っています。
>いろいろ考えるのにお世話になったのは残した。この本を読んだときはこんな思いでいた、とか、
>この本から先に行ったような気がするとか、片付けていて少々感傷にふける。これも心地よかっ>た。
まさに感慨にふけりますね。
それも健康にはよいのではないでしょうか。
もう一度読みたいと思っても時間がない、読んでない本もある。
大人の、老人の玩具かもしれません。